シムカ・アロンド

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シムカ・アロンド
Simca Aronde 9 (1951 - 1955)
Simca Aronde 90A (1955 - 1958)
Simca Aronde P60 Elysée Rush
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドア・セダン
2ドア・ハードトップ
3ドア・ワゴン
2ドア・クーペ
2ドア・カブリオレ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン 水冷直列4気筒OHV1,290 cc・48 PS/4,800 rpm
変速機 3/4速MT
前:ダブルウィッシュボーン+コイルスプリング独立
後:固定車軸+半楕円リーフスプリング
前:ダブルウィッシュボーン+コイルスプリング独立
後:固定車軸+半楕円リーフスプリング
車両寸法
ホイールベース 2,445 mm
車両重量 940 kg
その他
全長/全幅/全高 4,189 mm/1,567 mm/1,427 mm
系譜
先代 シムカ・8
後継 シムカ・1300/1500
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Simca Aronde Océane

シムカ・アロンドSimca Aronde )は、フランスの自動車メーカー、シムカ1951年から1964年まで生産した小型乗用車である。
「アロンド」とはフランス語で「カモメ」の古語

概要[編集]

イタリア車フィアットライセンス生産メーカーとして運営されてきたシムカ初の独自設計モデルで、エンジンのみをフィアットの強化改良型としながら、本家フィアットに先んじて開発された戦後型車である。中期以降のモデルには、後発の戦後型フィアット・1100の影響も見て取れる。

1951年から1955年までの9、1955年から1958年90Aそして最終型のP60に区分されるが、1964年に1300/1500に世代交代するまでに140万台が生産され、シムカをフランス第4位の自動車メーカーの座に定着させた。

1951年登場の9は1,221 ccの44.5馬力エンジンを搭載、4ドアセダン、3ドアワゴン、ファセル製2ドアクーペがあった。クーペは間もなく、自社製ボディーの2ドアハードトップ、「グラン・ラルジュ」(Grand Large )に置き換えられた。

アロンドは前輪独立懸架モノコックボディなど、完全な戦後型設計でありながら後輪駆動(FR)のオーソドックスな設計で、当時のフランス[注釈 1]では却ってその時流に合って常識的なところがユーザーの心を掴み、1953年までに6万台を売る成功作となった。性能も当時の平均以上の水準にあり、当時の英国自動車雑誌・「ザ・モーター」によると、初期型の動力性能は最高速度118.9 km/h、0 - 60マイル/h(0 - 96 km/h)加速30.2秒であった。

1955年10月には90Aに発展、ボディ前後のデザインが変更され、1,290 ccのいわゆる「Flash」エンジンが搭載され、「ザ・モーター」のロードテストでは、最高速度は132.9 km/h、0 - 60マイル/h加速23.9秒を記録し、大幅に性能を向上させた。また、「エリゼー(Elysée)」や「モンレリー(Montlhéry)」といった豪華版も投入され、当時のフランス車としては異例のワイドバリエーション化を進めた。1957年1月には累計生産50万台を突破、10月には専用ボディの2ドアコンバーチブルオセアーヌ」(Océane )、ハードトップクーペの「プラン・シエル」(Plein Ciel )が登場した。

1958年9月にはP60となり、車体デザインを大幅にモダナイズ、新しくクーペ版「モナコ」(Monaco )、1,090 ccエンジンの廉価版「エトワール」(Etoile )が追加された。クランクシャフトは5ベアリング化され、新たに「Rush」エンジンと呼ばれることとなり、70馬力の高性能版「Rush Super」も1961年に投入され、「モンレリー」と「モナコ」の「スペシアル」(Speciale )に搭載された。

アロンドはアメリカ合衆国を含む世界各国にも輸出され、当時の日本へも、国際興業日本交通系の自動車ディーラーであったキングレーモータースを通じて輸入された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この時代のフランス車では、アロンドの対抗馬になり得たのは戦前の雰囲気を残す過渡期的なスタイルのプジョー・203か、前輪駆動小排気量エンジンでで大きな車体を走らせるエキセントリックな設計のパナール・ディナZ程度しかなく、他はシトロエン・2CVルノー・4CVに代表される1,000 cc未満の低価格車か、シトロエン11CVやルノー・フレガートなど2,000 cc級の中型高級車かの両極端であった。

出典[編集]

参考文献[編集]