オイゲン・バウマン

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オイゲン・バウマン
生誕 (1846-12-12) 1846年12月12日
ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州Cannstatt
死没 1896年11月3日(1896-11-03)(49歳)
ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州フライブルク
居住 ドイツ
国籍 ドイツ
研究分野 有機化学生化学
研究機関 テュービンゲン大学
ストラスブール大学
ベルリン大学
フライブルク大学
出身校 テュービンゲン大学
博士課程
指導教員
ヘルマン・フォン・フェーリング
フェリクス・ホッペ=ザイラー
主な業績 ショッテン・バウマン反応
プロジェクト:人物伝
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オイゲン・バウマン(Eugen Baumann、1846年12月12日 - 1896年11月3日)は、ドイツの化学者。初めてポリ塩化ビニル(PVC)を初めて作成し、カール・ショッテン英語版とともにショッテン・バウマン反応を発見した。

生涯[編集]

現在はシュトゥットガルトの一部であるCannstatt生まれ。シュトゥットガルトのギムナジウムに通った後、父の薬局で教育を受けた。シュトゥットガルトにいる間には、シュトゥットガルト大学ヘルマン・フォン・フェーリングの講義を受けていた。

広い教育を受けるために、リューベックヨーテボリへ行き、そこの薬局に勤務した。のちにテュービンゲン大学で薬学を学んだ。1870年に最初の試験に合格し、1972年にフェリクス・ホッペ=ザイラーの元で博士号を取得した。ホッペ=ザイラーを追ってストラスブール大学に移り、1876年にハビリテーションを行った。同年、エミール・デュ・ボア=レーモンからベルリンの生理学研究所の化学部門長としての地位をオファーされた。1882年にはその研究所の医学教授となり、その後フライブルク大学の教授となった。

1895年、Albrecht Kosselとともにホッペ=ザイラーのZeitschrift für Physiologische Chemieの管理を引き継いだ。

1883年に化学者Hermann Koppの娘であるTheresa Koppと結婚し、5人の子どもをもうけた。心臓病のため49歳で死去した[1]

業績[編集]

尿の有機硫黄化合物が、生理化学への出発点となった[2]。彼は尿の芳香族化合物の供給源がチロシンなどの芳香族アミノ酸であることを特定した。チオアセタールチオケタール英語版の合成により有機硫黄化学に影響を与えた。これらの物質はその後、麻酔などに対して他の科学者により使用された。他の同僚と共に、サイロキシン甲状腺の有効成分であることを示した[1]

ショッテン・バウマン反応[編集]

ショッテン・バウマン反応の一例。ベンジルアミン塩化アセチルとの反応によりN-ベンジルアセトアミドを形成する。

生理学研究所での研究中に、カール・ショッテン英語版とともにアミン酸塩化物からアミドを合成する方法を発見した。この方法は現在でもショッテン・バウマン反応として知られている[3]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b A. Kossel (1897). “Obituary: Eugen Baumann”. Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft 30 (3): 3197–3213. doi:10.1002/cber.189703003150. https://zenodo.org/record/1425884. 
  2. ^ Winfried R. Pötsch, Annelore Fischer and Wolfgang Müller with contributions of Heinz Cassenbaum: Lexikon bedeutender Chemiker, VEB Bibliographisches Institut Leipzig, 1988, p. 31, ISBN 3-323-00185-0.
  3. ^ *Ihde, Aaron John (1984). The development of modern chemistry. Courier Dover Publications. p. 335. ISBN 0-486-64235-6