アガフィヤ・ロスチスラヴナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アガフィヤ・ロスチスラヴナ
Агафья Ростиславна

出生 12世紀
配偶者 ノヴゴロド・セヴェルスキー公オレグ
家名 リューリク家
父親 キエフ大公ロスチスラフ1世
テンプレートを表示

アガフィヤ・ロスチスラヴナロシア語: Агафья Ростиславна生没年不詳)は、キエフ大公ロスチスラフ1世の娘であり、ノヴゴロド・セヴェルスキー公オレグの二番目の妻である。

アガフィヤは『イパーチー年代記』の中で2回言及されている。すなわち、1165年6月29日にノヴゴロド・セヴェルスキー公オレグと結婚したという記述と、1168年に夫のオレグと共に、チェチェルスクでのロスチスラフ1世の歓待会に参加したという記述である[1]

1979年、イーゴリ・デルジャベツはアガフィヤを『イーゴリ軍記』の作者とする仮説を論じたが、レフ・ドミトリエフ(ru)は、その論拠は非科学的なものであると評している[2]

出典[編集]

  1. ^ Агафия Ростиславна // Русский биографический словарь : в 25-ти томах. — СПб.—М., 1896—1918.
  2. ^ ­Агафья (Огафья) Ростиславна // Энциклопедия "Слова о Полку Игореве": А-В. — Институт русской литературы (Пушкинский дом), 1995.