十楽寺直彦
十楽寺 直彦(じゅうらくじ なおひこ[1]、1926年3月12日[2] - )は、北海道札幌市出身の都市計画家、造園家。
略歴[編集]
札幌市出身、千葉高等園芸学校(現・千葉大学園芸学部)を卒業[2]。札幌市役所に1946年採用[3]、1961年から1968年にかけ公園課長の後企画調整局計画部長・企画部長[3][4]、1973年に都市開発局開発部長[5]、1975年に環境局緑化推進部長を歴任[3][2]、定年前の1981年末に退職[3]。
公園課長時代には、豊平川を都市計画区域の公園緑地に指定し、将来は堤防と堤防で囲まれた川のなかを公園として活用する案を提唱し[6]、その後1967年(昭和42年)に豊平川の藻岩橋から雁来大橋までの水面までを含む約330ヘクタールを公園緑地(豊平川緑地)とする都市計画が策定された[7]。また緑化推進部長時代には自然保護関連やカムバックサーモン運動を担当[3]。
1986年、日本公園緑地協会創立50周年記念表彰[8]。