藤阪 修美(ふじさか ながとみ、1902年2月16日[1] - 2000年5月23日)は、日本の実業家。
大阪府出身。1924年、関西学院高等学部商科を卒業し、大阪瓦斯に入社[1]。1960年から1969年までに大阪ガス社長を務め、都市ガスの原料を石炭から石油に転換した[2]。1964年から1968年までに日本ガス協会会長を務めた[2]。1972年に勲二等旭日重光章を受章した[3]。
2000年5月23日、老衰のために大阪市の病院で死去[3]。98歳没。