生熊長勝
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 通称:源介 |
官位 | 玄蕃頭 |
主君 | 豊臣秀吉→秀頼 |
氏族 | 生熊氏 |
生熊 長勝(いくま ながかつ)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。
略歴[編集]
豊臣秀吉の鉄砲組頭を務めた。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い、天正18年(1590年)の小田原征伐に従軍した。文禄・慶長の役では、肥前国名護屋城に在陣する。秀吉の草津湯治の警護役も務めた。慶長2年(1597年)、丹波国及び美濃国の内2万石を賜る。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍に与し、伏見城の戦いに参加し、その後、尾張国犬山城を守備した。戦後、所領没収の上、常陸国松岡城に幽閉されて自刃した。子孫は水戸徳川家に仕えた。