澤の露

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澤の露本舗
澤の露本舗
2019年1月4日撮影 地図
本社所在地 日本の旗 日本
047-0024
北海道小樽市花園1丁目4番25号[1]
北緯43度11分38秒 東経140度59分56秒 / 北緯43.19389度 東経140.99889度 / 43.19389; 140.99889座標: 北緯43度11分38秒 東経140度59分56秒 / 北緯43.19389度 東経140.99889度 / 43.19389; 140.99889
設立 1911年
業種 食料品
事業内容 菓子の製造販売
代表者 高久文夫
外部リンク 小樽名物 澤の露本舗
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澤の露(さわのつゆ)は、日本製菓業者[2]北海道小樽市花園に所在する[1]新倉屋花月堂と並ぶ、小樽の老舗の製菓業の1つ[3]。創業時の名は「水晶飴玉」であり、21世紀以降においてもこの名で憶えている客も多い[4]。同店唯一の商品であるの名称でもあり[5]、小樽市内の1店舗のみの営業ながら、日本全国的な人気を得ている[5]

沿革[編集]

1911年明治44年)に[3]、菓子職人である澤崎浅次郎が「水晶飴玉」店として創業した[5][6]。澤崎は洋菓子和菓子も試す中で、飴に辿りついて創業したという[5]1955年昭和30年)頃、澤崎の娘婿である高久信夫が2代目を継承した[5]

創業以来、「水晶飴玉」と呼ばれる飴が主力商品にして唯一の商品である[5]。後に「水晶玉」が透明な飴全体の通称となったため、昭和10年代に「澤の露」に改名され、現在に至る[7][8]。「澤」は初代の澤崎の姓、「露」は森の木の葉に滴るの意味であり[6]、山の木々から滴るのように光るイメージから命名された[9]

第二次世界大戦中には、飴玉「澤の露」は戦地にも慰問品として届けられた[4][10]。しかし戦中に、原材料である砂糖が入手不可能となったため、店は一時閉店[4][6]1951年(昭和26年)に再び砂糖が入手可能となり、店が再開された[6]1950年代は小樽市内の繊維問屋街、1960年代北洋漁業の盛んな時代には、問屋や漁業会社から注文が殺到し[6]、北洋漁業の船員の糖分補給にも愛用された[10]

高久信夫の3人の息子が家業を継がず会社員となったため、一時、この飴を作ることができる人物は高久1人のみとなった[6][7]。しかし高久が視力の低下から飴作りが困難となり、一時は廃業も検討されたものの、三男の高久文夫が1990年平成2年)夏に会社を退職し、翌1991年(平成3年)に正式に3代目を継承した[6]。親の飴作りを直に目にしていたにもかかわらず、技術の習得には10年を要した[11]

また3代目継承を機に、暗くて不衛生なイメージのある工場を改築し、先代から使い続けた不便な道具を近代的且つ効率的なものに変更された[6]2012年(平成24年)には建物の老朽化から、現在の場所に移転した[8]。改修後の店には、店の歴史や文化を産業面から伝承していくため、店頭に昭和10年の掛け時計や、初代の使用していた備品類、支那事変のときの賞状、古紙幣などが展示されており、小規模の博物館に似た役割も持ち[12]、学生の研修対象となることも多い[13]

2013年(平成25年)には一子相伝の技術が評価され、北海道産業貢献賞の「卓越した技能者」部門を受賞した[14]新型コロナウイルス感染症の影響によって営業が厳しくなって以降も、店舗の改装や、公式ウェブサイトを改良して製造工程を動画で紹介するなどの工夫が為されている[15]

澤の露(水晶飴玉)[編集]

飴玉「澤の露」(水晶飴玉)

一般的に飴といえば水飴、即ちデンプンを用いるものが多いが、本店の飴「澤の露」の特長は、一切デンプンを用いていない点である[2][6][7]。日本国外から仕入れる高級な香料(レモンオイル)と砂糖のみで仕上げられたた飴であり[5][11]、その純度は100パーセントである[7]。これには、小樽が日本国外との貿易港として栄え、世界中の品物、国外の上質な製品が流通していたため、質の良い砂糖と香料が入手できたことが背景にある[16]合成着色料保存料も一切、使用されていない[9][16]

2023年(令和5年)時点においても、機械を介さずに人の手で作られている[15]。以前には機械化の導入が検討されたこともあるが、砂糖に水飴を混ぜるとゆっくり固まるために、機械での製造加工も可能なところが、業者側から「砂糖100パーセントの飴を機械で作るのは無理」と断られたという[15]

味や香りに癖が無く、自然な甘さが特長である[7][17]。他の甘味料[6]、水飴を用いない分、粘りが少なく[5]、歯にも付きにくく[10]、ほんのりとした甘さを楽しめ[5]。舐めた後も喉が渇きにくいことが特長である[10]。歯にも付きにくいことから、高齢者にも喜ばれている[17]。2代目の高久信夫は、ラッカセイを混ぜるなど別の味を試したことがあるが、何も入れない方が美味との結論に達したという[5]

創業当初にはすでに、砂糖の最高の原料を使用することでの品質の高さが評価され、東京方面から訪れる人々にも、小樽土産として非常に喜ばれた[18]。1960年代頃までは、香料にイギリスロンドンのものが用いられていたため、「ロンドンの香り」と言われた[2][6]2000年代以降の現在はフランス製の香料[6][9]オーストラリア台湾でとれるサトウキビを精製した上白糖が原材料として用いられている[9]。バイオ燃料の生産拡大などが原因で砂糖の価格も高騰した後でも、伝統が守られ、砂糖も製法も変更されていない[19]

飴玉の外観の透明度も「宝石のような美しさ」とも評されている[7]。独特の琥珀色の外観は、砂糖が焦げた色であり、焦がし過ぎても足りなくても、この色にはならず、その見極めには長年の経験を要するという[16]

イベントの記念品や、芸能事務所の贈答品に使われることもある[5]。有名女優が座長を務める劇団の場合、舞台初日や千秋楽にスタッフへ配るため、100箱単位で注文が来る[11]。大手銀行では遣い物に利用され[11]、東京の有名デパートにも納品されている[11]。注文が殺到する彼岸お盆は品切れになることも珍しくない[11]。一子相伝の味は全国にファンがおり[5]、首都圏などにも根強いファンを持つ[10]。贈答品として口にした客が「また欲しい」と注文するケースも多い[10]

脚注[編集]

  1. ^ a b 小樽名物 澤の露本舗”. 小樽名物 澤の露本舗. 2021年3月22日閲覧。
  2. ^ a b c 田中晃「飴玉 原料は砂糖だけ(うまいものが食べたい)」『朝日新聞朝日新聞社、2004年8月6日、北海道朝刊、28面。
  3. ^ a b 北海道新聞社 1984, p. 135
  4. ^ a b c 竹中達哉「ひと2011 高久文夫さん あめ玉一品作り続け100年の小樽の老舗3代目」『北海道新聞北海道新聞社、2011年8月18日、全道朝刊、5面。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 若松聡「わがまち遺産 一子相伝、あめ玉1種一世紀 澤の露」『朝日新聞』、2017年1月15日、北海道朝刊、29面。2019年4月30日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 「高久文夫さん(技と心に生きる 小樽の職人たち)」『朝日新聞』、2000年8月25日、北海道朝刊、28面。
  7. ^ a b c d e f 入江他 1990, p. 22
  8. ^ a b 塚田敏信「まち歩きのススメ お菓子編 澤の露 魅惑の飴、製法に秘密 塚田敏信」『朝日新聞』、2012年9月28日、北海道夕刊、6面。
  9. ^ a b c d 「おはよう経済 おすすめします 水昌飴玉「澤の露」 澤の露本舗 ほんのり自然な甘さ」『北海道新聞』、2001年3月13日、樽B朝刊、27面。
  10. ^ a b c d e f 「ふるさとの逸品 澤の露 素朴なアメ 甘さサラリ」『読売新聞読売新聞社、2018年6月21日、東京朝刊、29面。
  11. ^ a b c d e f 青木和弘「スイーツ王国ほっかいどう 第3部 永く愛されて 澤の露本舗 小樽市 熟練の技 水あめ使わず」『北海道新聞』、2009年11月7日、圏B夕刊、7面。
  12. ^ 澤の露本舗”. 澤の露本舗. 2019年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月30日閲覧。
  13. ^ 街のみちしるべ”. 澤の露本舗. 2019年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月30日閲覧。
  14. ^ 山崎弘文他「卓越した技能たたえ 道産業貢献賞 管内から2人 余市・佐藤さん 左官業界発展に力 小樽・高久さん あめ作り伝統守る」『北海道新聞』、2013年10月31日、樽B朝刊、27面。
  15. ^ a b c 田口智子「田口智子の小樽和菓子さん 澤の露本舗 技も光る「あめ」甘く爽やか」『北海道新聞』、2023年7月22日、樽A朝刊、16面。
  16. ^ a b c 澤の露本舗”. 小樽商工会議所 会員企業紹介サイト. 小樽商工会議所 (2019年1月8日). 2019年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月30日閲覧。
  17. ^ a b 鈴木彩可 (2017年11月18日). “2017/11/18 放送 - 澤の露本舗 -”. &.LOVE〈小樽さんぽ〉. エフエム北海道. 2019年4月30日閲覧。
  18. ^ 栗賀大介『新選組興亡史 永倉新八の生涯』新人物往来社、1972年8月20日、190頁。 NCID BN06692117 
  19. ^ 富田茂樹「フォトピック 変わらぬ甘さ、琥珀色」『北海道新聞』、2008年2月13日、全道朝刊、9面。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]