日本体育大学硬式野球部

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日本体育大学硬式野球部
加盟団体 首都大学野球連盟
本拠地 横浜市青葉区鴨志田町
創部 不詳(公式には1952年)
チームカラー スカイブルー
監督 古城隆利
公式サイト 公式ウェブサイト
リーグ戦成績
リーグ成績 優勝27回
全日本大学野球選手権大会
出場回数 11回
最高成績 ベスト4 4回
明治神宮野球大会
出場回数 13回
最高成績 優勝2回
ベスト4 6回
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日本体育大学硬式野球部(にっぽんたいいくだいがくこうしきやきゅうぶ、: Nippon Sport Science University Baseball Club)は、首都大学野球連盟に所属する大学野球チーム。日本体育大学の学生によって構成されている。正式名称は「学友会日本体育大学硬式野球部」で、大学の略称は日体(にったい)または日体大(にったいだい)。

ユニホームは、スカイブルーに青字NITTAIと表記されたもの。左袖には「花桜」のシンボルマーク、右袖にNSSUの文字。ブルーの野球帽にはNSの白文字、ストッキング青色。

概要[編集]

1891年(明治24年)創設の日本体育会が起源。1893年(明治26年)に体操練習所と改め、以降、日本体育会体操学校、日本体育専門学校、日本体育大学とその都度改称してきたが、野球部の創部時期は不詳である。但し、部誌に「1946年」(昭和21年)土浦校舎時代に活動再開とある。公式には、東京都新制大学野球連盟に加盟した「1952年」(昭和27年)を創部年としている。

首都大学野球連盟には創設時から加盟し、毎年概ねリーグ戦上位に位置する強豪である。リーグ優勝は27回・準優勝35回である(2023年春秋リーグ戦終了時点)。

同校は、体育教員・スポーツ医療系従事者等養成を趣旨とする単科大学系の総合大学(体育学部・スポーツ文化学部・スポーツマネジメント学部・児童スポーツ教育学部・保健医療学部)になる。

大学卒業後、高校・中学校指導者監督・部長(責任教師)・コーチ(教職員など)となって、野球の全国大会出場(甲子園「全国高等学校野球選手権大会」「選抜高等学校野球大会」、全中「全国中学校軟式野球大会」等)に導くOB関係者が多い。もとより、教員養成・指導者養成系(スポーツ科学・体育学・児童スポーツ教育学・保健医療学)を特質とするため教員志望が多く、プロ野球や実業団野球志望者は多くはない。しかし、過去にドラフト会議に指名され、プロ野球選手になった卒業生も少なくない(プロ野球に進んだ選手は後述)。

部員数が多いため、班別(Aコース・Bコース、学生コーチ、1軍2軍3軍など)に分かれている。一時期は日本一部員(初年度登録)が多い大学とも云われていた。リーグ戦優勝時には優勝を祝し野球部員による「エッサッサ」が伝統としてスタンドで披露される。

横浜市青葉区六大学(國學院大學桐蔭横浜大学玉川大学横浜美術大学カリタス女子短期大学・日体大)支援協定により「AOBA Baseball Festa」として交流戦や野球教室を開催している。

歴史[編集]

1946年(昭和21年)、日本体育専門学校は旧土浦海軍航空隊の隊舎跡地に移転し、戦後の野球部の活動が再開。翌1947年(昭和22年)、全国高等専門学校野球大会関東予選に栃木・群馬・千葉の代表として出場し、ベスト4に進出。翌翌1949年(昭和24年)、新制大学の日本体育大学となり、東京世田谷区への移転のため、野球部の活動が一時中断した[1]

1952年、野球部の活動が復活し、東京都新制大学野球連盟(現 東京新大学野球連盟)2部に加盟。同連盟で優勝4回。1958年、東京新大学野球連盟を脱退して東都大学野球連盟に加盟。

1964年、東都大学野球連盟を脱退して首都大学野球連盟に加盟。発足時からの加盟校として日体大・東海大学東京教育大学(現 筑波大学)・武蔵大学成城大学の5大学で編成し交流戦を開始。同年秋、明治学院大学東京経済大学が加盟し初のリーグ戦が7校で開始され、日体大は東海大に次ぐ2位だった。

1967年、4年小川幸三(通算25勝17敗、のち日体大ソフトボール部監督)、2年山田慎介(通算19勝17敗)らの投手陣を擁して、首都大学野球秋季リーグ戦で初優勝。以降も、70年秋のリーグ戦で2位となった林清一郎投手(71年卒、16勝16敗)らが活躍した。

1973年、2年西谷美次投手(通算39勝〈東海上田次朗と並ぶリーグ歴代1位〉13敗、人吉高出身)らを擁して、春季リーグ戦で2度目の優勝を遂げ、第22回全日本大学野球選手権大会初出場。初戦で東京学芸大を10-0(5回コールド)で下し、2回戦で優勝した2年田村政雄投手擁する中央大に2-4で敗退。 翌1974年、秋季リーグで優勝し第5回明治神宮野球大会初出場。1回戦で優勝した中央大に3-4で惜敗。翌1975年、西谷や貴志康弘(通算10勝6敗)ら4年生投手陣を擁して、同様に秋季リーグ優勝で第6回明治神宮野球大会に2度目の出場。初戦2回戦で日本大を1-0で下したものの、準決勝で優勝した明治大に0-1で惜敗した。以降も、翌1976年春秋リーグ戦で春秋両季ベストナインの2年中田宗男投手(79年卒、通算24勝10敗)らが活躍した。

1980年、同秋の最優秀投手石田富士男(通算18勝4敗)と白武佳久(通算26勝8敗)ら3年両投手、4年岸内博美(通算13勝3敗)らの投手陣や、3年上村恭生(智弁学園。のち同校監督)ら打撃陣の活躍で秋季リーグ戦で5度目の優勝。4年原辰徳や3年井辺康二投手擁する東海大の10連覇を阻止。続く第11回明治神宮野球大会準決勝で1年生の和田護投手や小早川毅彦に2年木戸克彦擁する法政大を破り、決勝で石田富士男の好投で3年宮本賢治投手や4年大石大二郎擁する亜細亜大を4-2で下し、神宮大会3度目の出場で初優勝を飾る[2]。翌1981年、白武や石田ら4年生投手陣を擁して、春秋リーグ戦を連覇しリーグ戦3連覇を達成。春は第30回全日本大学野球選手権2回戦(準々決勝)で優勝した森岡真一投手や平田勝男らの4年生擁する明治大に敗退。秋は第12回明治神宮野球大会2回戦で準優勝した山沖之彦投手擁する専修大に敗退した。

1984年、3年園川一美投手(通算33勝13敗)を擁し春秋リーグ戦連覇、東海大の5連覇を阻止した。春の第33回全日本大学野球選手権2回戦(準々決勝)で優勝した3年西川佳明投手擁する法大に1-6で敗退。秋の第15回明治神宮野球大会1回戦は札幌大を2-0、2回戦で4年広澤克実らの明大を6-1で下すも、準決勝で4年佐々木修投手擁する近大呉工学部に1-2で敗退。

1987年、春季リーグ戦において4年中村大伸(横浜商)が1シーズン26安打の記録を達成。また、4年白井泰之投手(88年卒、通算14勝9敗)らが活躍した。翌1988年、同春の最優秀投手の4年稲田雅之(通算12勝3敗)や3年有倉雅史らの投手陣を擁して、春季リーグ戦優勝。第37回全日本大学野球選手権準々決勝で野村謙二郎らの駒澤大を2-1で下すも、準決勝で上岡良一投手擁する東北福祉大に2-5(延長11回)で敗退。翌1989年、4年有倉投手、3年井上力(89秋90秋最高殊勲選手MVP)、池田高。のち同校監督)らを擁して秋季リーグ戦優勝。第20回明治神宮野球大会初戦2回戦で4年佐々木主浩投手擁する東北福祉大に2-3で敗退。

1993年、3年山内泰幸投手(通算31勝9敗)を擁し秋季リーグ戦で13度目の優勝。翌1994年春季リーグ戦も優勝し秋春リーグ戦連覇。神宮大会・全日本大学選手権いずれも準決勝進出。翌1995年、3年小林雅英投手(通算16勝7敗)を擁し春秋リーグ戦連覇。全日本大学選手権・神宮大会いずれも準決勝進出。翌1996年春季リーグ戦で優勝しリーグ戦3連覇。続く全日本大学選手権2回戦で準優勝した3年前田浩継投手擁する九州共立大に敗退。

1998年秋 リーグ戦優勝。同秋最優秀投手の小枝英二(99年卒、10勝4敗、明石高)や大城智也(99年卒、15勝10敗、豊見城高)、宗政徳道(00年卒、18勝8敗、高陽東高)、佐藤充(00年卒、18勝4敗、坂戸西高)らの投手陣が活躍した。

2004年、春秋リーグ戦最優秀投手、同秋の最高殊勲選手(MVP)1年小笠原ユキオ投手(08年卒、27勝17敗、日章学園高)らの活躍で、秋季リーグ戦優勝。続く第35回明治神宮野球大会準決勝で優勝した東亜大に0-6で敗退。

2011年、春季リーグで20回目の優勝。4年辻孟彦投手(通算22勝18敗)が1シーズン10勝及び同シーズン5完封の新記録を達成した。第60回全日本大学野球選手権大会準々決勝で東京国際大に0-1で敗退。

2013年、同春の最高殊勲選手(MVP)平野智基(4年、鳥栖高)らの活躍で春季リーグ戦優勝。続く第62回全日本大学野球選手権大会準決勝で準優勝した亜細亜大に3-6で敗退。

2017年松本航東妻勇輔の両3年生投手を擁して秋季リーグ戦で優勝。続く第48回明治神宮野球大会では、2回戦で松本 - 東妻の継投、延長10回表に一挙6点を奪い九州共立大を7-1、準決勝で松本が完封し3年甲斐野央先発の東洋大を4-0、決勝で東妻が完封し星槎道都大に3-0で勝利し、80年以来37年ぶり2度目の優勝を果たした[3]

2020年、秋季リーグ戦優勝。続く秋の第51回明治神宮野球大会コロナ渦で中止。

2022年、秋季リーグ戦優勝。続く秋の明治神宮大会は関東地区代表決定戦で敗れ出場できず。翌2023年、春秋リーグ戦を連覇しリーグ戦3連覇を果たす。続く春の第72回全日本大学野球選手権大会2回戦で準優勝した明治大に0-7(7回コールド)で大敗。同年秋の第54回明治神宮野球大会準決勝で優勝した慶応大に1-5で敗退した。

本拠地[編集]

  • 合宿所 - 日体大横浜健志台キャンパス合宿寮(横浜市青葉区鴨志田町
  • グラウンド - 日本体育大学横浜健志台野球場(横浜市青葉区鴨志田町、1986年9月竣工)

記録[編集]

2023年秋季時点。

主な出身者・関係者[編集]

歴代部長[編集]

  • 上平雅史、櫻井忠、関根義雄、河野徳良、波多腰克晃

アマチュア関係者[編集]

プロ野球[編集]

備考[編集]

2011年7月5日、甲子園大会準優勝経験もある同大学野球部員2年生が横浜市青葉区の大学寮近くで自死しているのが発見された[4]

脚注[編集]

外部リンク[編集]