岡谷康治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おかや やすはる

岡谷 康治
生誕 (1915-09-09) 1915年9月9日
日本の旗 日本 愛知県名古屋市
死没 (1996-03-21) 1996年3月21日(80歳没)
出身校 名古屋高等商業学校(現名古屋大学
東京商科大学(現一橋大学
職業 実業家
岡谷惣助 (10代目)(父)
親戚 岡谷惣助 (9代目)(祖父)
岡谷篤一(甥)
朝海和夫(娘婿)
嵯峨根遼吉(義兄)
受賞 従四位勲二等瑞宝章
藍綬褒章
テンプレートを表示

岡谷 康治(おかや やすはる、1915年9月9日 - 1996年3月21日[1])は、日本実業家岡谷鋼機創業家十二代目当主で、同社代表取締役社長や、中部経済同友会代表幹事名古屋商工会議所副会頭等を務めた。

来歴・人物[編集]

愛知県名古屋市出身[1]愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て[2]、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業[3]。1941年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後[4]、鉄鋼統制会に入る[5]

1945年鉄鋼統制会を退職し[6]岡谷鋼機取締役に就任。1948年常務。1958年社長[5]。1982年からはキタン会会長も務め[3]、1990年から岡谷鋼機会長となった[7]

中部経済同友会代表幹事[8]名古屋商工会議所副会頭、愛知県日韓協会副会長などを歴任し[9]大隈鐵工所取締役、中部日本放送取締役、旭精機工業監査役愛知時計電機監査役、名古屋鉄道監査役、東邦瓦斯監査役を兼務した[10]

また、1951年の日本青年会議所創立メンバーであり、同年に開催された第6回国際青年会議所(JCI)世界会議モントリオール大会に、6人の日本代表団の1人として参加し、正式加盟のため尽力するなどした[11]

1977年藍綬褒章、1986年勲二等瑞宝章を受章[1]。1996年従四位[12]

親族[編集]

岡谷家の十二代目当主であり[13]、父は岡谷鋼機設立者の十代目岡谷惣助。長女はEU政府代表部特命全権大使などを務めた朝海和夫に嫁いだ[5]。姉は物理学者嵯峨根遼吉に嫁ぎ[14][15]、姪は日産自動車に勤務していた自動車技術者でR33型・R34型スカイラインの開発責任者(主管)を務めた渡邉衡三に嫁いだ[15]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.133
  2. ^ 「過去の被顕彰者リスト」鯱光会活動案内
  3. ^ a b キタン会100年の歩みキタン会
  4. ^ 官報 1941年08月05日
  5. ^ a b c 人事興信録 8版 人事興信録 13版
  6. ^ 経済人 17(4)(187) 雑誌 (関西経済連合会, 1963-04) 全 3 件の該当箇所
  7. ^ 「岡谷鋼機の歴史」
  8. ^ 「中部経済同友会の歴史」
  9. ^ [1]在日本大韓民国民団
  10. ^ 上田義朗「日本企業における役員兼任の類型分析 : 役員兼任「独自の意義」に関する予備的考察(松田和久博士記念号)」『国民経済雑誌』第158巻第4号、神戸大学経済経営学会、1988年10月、105-120頁、doi:10.24546/00173812hdl:20.500.14094/00173812ISSN 03873129CRID 1390009224927386112 
  11. ^ 日本JC の誕生日本青年会議所
  12. ^ 官報平成8年本紙第1884号 11頁
  13. ^ 新日本経済 32(4) 雑誌 (新日本経済社、1968-04)
  14. ^ 『門閥』、480-481頁、484頁。
  15. ^ a b 『豪閥』、246-247頁。

参考文献[編集]

先代
岡谷正男
岡谷鋼機社長
1958年 - 1990年
次代
岡谷篤一
先代
加藤乙三郎
中部経済同友会代表幹事
第10代:1963年度 - 1968年度
次代
八代健三郎
先代
石井健一郎
キタン会会長
第3代:1982年 - 1990年
次代
加藤隆一