山本庸一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本 庸一(やまもと よういち、1909年1月19日 - 1987年12月23日 )は、日本の経営者雪印乳業社長を務めた。北海道札幌市生まれ[1]上川郡清水町出身[2][3][注 1]

来歴・人物[編集]

北海道札幌市生まれ。父親は静岡県出身で、元々は北海道庁測量の仕事に従事していたが、渋沢栄一十勝地方の開拓事業に参加し、上川郡清水町に転居[2]。その関係で、庸一は幼少期を十勝の大自然の中で育った[2]。小学校6年の時に札幌に戻り、北海道庁立札幌第一中学校を経て、1931年中央大学経済学部を卒業し、同年に北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印乳業)に入会(入社)した[1][2][3]。北海道製酪販売組合連合会への入会は、創業者の佐藤善七・父子と旧知の間柄だったことによる[2]1956年に取締役に就任し(後に関西事業所長も兼務)、1963年に常務、1971年5月に専務を経て、1973年5月に社長に就任[1][2][3][4]。雪印では小売業界での流通基盤を固めるなど、営業面での功績が大きく、同社を業界のトップメーカーに育て上げた[5]。その反面、会社を守る立場から、社内における道内の酪農業関係者の権限を縮小するなど、ワンマン的な部分もあり、創業以来密接な関係のあったホクレンとの一時的な断絶や、それに伴うよつば乳業の成立などのきっかけを作った[6]

1986年4月に勲二等瑞宝章を受章[1]

1987年12月23日腎不全のため、社長在任中に死去[6][7]。78歳没。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 木村勝太郎「北海道酪農百年史: 足跡と現状及び人物誌」では、出生地も清水町としている

出典[編集]

  1. ^ a b c d 興信データ株式會社 1987, や258頁.
  2. ^ a b c d e f 綱淵昭三「財界人国記—北海道編・東北編・関東編」サンケイ出版、1978年、pp16-17
  3. ^ a b c 木村勝太郎「北海道酪農百年史: 足跡と現状及び人物誌」樹村房、1984年、p97
  4. ^ 産経新聞取材班, ブランドはなぜ堕ちたか 雪印、そごう、c三菱自動車事件の深層 & 角川書店 2001, pp. 77–81.
  5. ^ 産経新聞取材班「ブランドはなぜ堕ちたか 雪印、そごう、三菱自動車事件の深層」角川書店、2001年、pp=77-81
  6. ^ a b 産経新聞取材班「ブランドはなぜ堕ちたか 雪印、そごう、三菱自動車事件の深層」角川書店、2001年、pp=63-69
  7. ^ 1987年 12月24日 日経産業新聞 p23

参考文献[編集]

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第34版 下』興信データ、1987年。 
先代
児玉由一
雪印乳業社長
1973年 - 1987年
次代
正野勝也