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大久保忠直 (彦左衛門)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大久保 忠直(おおくぼ ただなお、慶安元年(1648年) - 元禄15年7月23日1702年8月16日))は、江戸時代前期の旗本通称平助彦左衛門

大久保忠名の三男。母は、新見彦左衛門正勝の娘。妻に大岡次郎兵衛直成の娘で、後妻は叔父大久保包教の娘。子供に大久保忠英大久保忠備、大久保忠利(後の下條信近)らがいる。

大久保彦左衛門というと「天下の御意見番」こと忠教が有名だが、忠教以降代々、彦左衛門を襲名している。忠直は忠教の孫で、兄忠隆の養子となって跡を継ぎ4代となる。6代忠恒で男系血脈は絶えるが、女系血脈は存続する。寛文4年(1664年12月10日遺跡を継ぐ。

元禄15年(1702年)7月23日死去。享年55。法名は日相。