北灘村 (愛媛県)
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きたなだむら 北灘村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 岩松町・北灘村・清満村・御槙村・畑地村・下灘村 → 津島町 |
現在の自治体 | 宇和島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 北宇和郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 下波村・三浦村・岩松町・畑地村・下灘村 |
北灘村役場 | |
所在地 | 愛媛県北宇和郡北灘村 |
座標 | 北緯33度08分36秒 東経132度28分36秒 / 北緯33.14342度 東経132.47664度座標: 北緯33度08分36秒 東経132度28分36秒 / 北緯33.14342度 東経132.47664度 |
ウィキプロジェクト |
北灘村(きたなだむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県北宇和郡にあった村である。
現在の宇和島市の南部の漁村である。昭和の合併で津島町,さらに平成の合併で宇和島市となり、現在に至っている。北灘湾をはさんで南北に大別される。
地理[編集]
現在の宇和島市の南部。宇和海に面し、岩松川の流れ込む北灘湾を挟んで南北に分かれた海岸部。古くから鰯漁で栄えた。昭和30年代前半以降養殖業が盛んになった。
- 地名の由来
- 江戸期から北灘浦と呼ばれていた。
歴史[編集]
藩政期
- はじめ宇和島藩領。寛文2年の領地替えによって吉田藩領。卯之浜(後の鵜の浜)、能登懸綱代、馬浦、家次、宗清、大堤浦、小堤浦などの小浦があった。
- 元禄年間槙川村庄屋伊左衛門の子彦左衛門によって大浜の新田開発行われる。
北灘村成立後
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行に伴い北宇和郡北灘村成立。
- 1951年(昭和26年)- 字玉ケ月を境界変更により岩松村に編入。
- 1955年(昭和30年)- 三重の資本の伊予真珠が進出し、真珠養殖始まる。
- 1955年(昭和30年) 2月11日 - 岩松町・清満村・御槙村・畑地村・下灘村との1町5村の合併で津島町となり、自治体としての歴史を閉じた。
北灘村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 昭和30年2月11日 岩松町 ━┳━━┓新設合併 あ┃ ┣津島町━━━━━┓ 北灘浦━━━━━━━━━━━北灘村━━┻━━┫ ┃ 清満村━━━━━┫ ┃ 御槙村━━━━━┫ ┃ 畑地村━━━━━┫ ┃新設合併 下灘村━━━━━┛ ┃平成17年8月1日 ┣宇和島市(新) 宇和島市━━━━┫ 吉田町━━━━━┫ 三間町━━━━━┛ あ - 昭和26年4月1日北灘村の一部(字玉ケ月)を境界変更により岩松町に編入。 (注記)岩松町その他の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
地域[編集]
明治の合併前の村である北灘浦1浦がそのまま大字となった。合併前の中心は国永であり、役場、公民館などが集積。
行政[編集]
- 役場
- 大字岩松に置かれていた。
産業[編集]
- 農業
- かつては段々畑で芋、麦等を産していたが、養殖が盛んになると自給用が主力となっていき、浦の風景も一変した。
- 水産業
- 藩政期から鰯漁の漁村であり、昭和30年代前半までは栄えた。
- 1955年(昭和30年)に三重の資本の伊予真珠が進出し、当地での真珠養殖始まる。地元資本によるものとしては、昭和32年に真珠母貝の養殖が、真珠貝養殖が昭和37年、はまち養殖が38年、鯛養殖が39年とされ、いずれも合併後である。
交通[編集]
当町の地域には現在に至るも鉄道は通っていない。最寄駅は宇和島駅。
海岸に沿っての道路は貧弱であった。