佐々木勇蔵

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佐々木 勇蔵(ささき ゆうぞう、1905年6月7日 - 1985年6月17日)は、日本の経営者銀行家大阪府出身[1]

経歴[編集]

1931年京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大阪府農工銀行に入行[1]

1937年3月に日本勧業銀行を経て、1951年1月に泉州銀行に転じ、常務に就任し、1958年4月に専務を経て、1963年10月に頭取に就任した[1]1974年11月に取締役相談役に就任した[1]

1973年泉州高等学校の設立に携わり、泉州学園名誉理事長を務め、関西経済連合会顧問、日本少年野球連盟副会長なども歴任[1]

1972年9月に藍綬褒章を受章し、1982年5月に勲四等旭日小綬章を受章[1]。。

1985年6月17日急性心不全のために死去[2]。80歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1985, さ32頁.
  2. ^ 1985年 6月18日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。