中知神学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中間知(ちゅうかんち、ラテン語:Scientia media)は、スペインの神学者モリナが造った神学用語[1]中知(ちゅうち)とも訳される[2]

一般に、キリスト教ではは全知全能と考えられている。神の知識 (scientia) は無限である[2]。しかし通常神の知識は知識の対象の相違から見て、神が神自身について有する知識と、神的でないものについて有する知識に分けられる[2]。ここで問題にするのは神的でないものについて神が有する知識で、これは「自然的(必然的)知識」と「自由な知識」と呼ばれる2つに分けられる[2]。「自然的(必然的)知識」とは、神にも人にも依存しない絶対的・必然的な真理の知識である[2]。一方の「自由な知識」とは神の決意に依存し、現実的に存在する一切のものを包括する[2]。しかし、神的でないものについて神が有する知識において、この2つに入らないものがあり、これをモリナは中間知(中知)と名付けた[2]。中間知(中知)とは、被造物すなわち例えば人間が一定の前提条件のもとに将来行う人間の自由な意思決定・行為について神が有する知識を意味する[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 稲垣良典モリナ」『改訂新版 世界大百科事典平凡社コトバンク。2024年5月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h F. Stegmüller「中知」『カトリック大辞典 3』冨山房、1952年。