ノート:種村直樹

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徳田氏との関係について[編集]

徳田氏の結婚式に関して実況はしたようですが、公開されている書籍を見る限り、それ一回限りの関係です。宮脇氏とは対談を行ったり、相互に書評を載せあったりと関係があるようですが、徳田氏とはそうしたこともないので、関係は削除した方がよいと考えています。項目の大幅な削除になるため、ご意見をお願いいたします。 --秋の虹 2005年7月20日 (水) 6:40 (UTC)

特に反対意見がありませんでしたので削除いたします。 --秋の虹 2005年8月22日 (月) 10:08 (UTC)[返信]

自称と付けたがる方へ[編集]

自称「レイルウェイ・ライター」と付けたがる方がいらっしゃいますが、シナリオライターやコピーライターなどと同じく、この人は職業名をレイルウェイ・ライターとしているのですから不適切です。スタイルのマニュアルに反する余計な強調も付けています。編集にあたってはWikipedia:ウィキプロジェクト 作家などのルールを確認の上、編集するようにお願いいたします。--秋の虹 2005年11月11日 (金) 14:20 (UTC)[返信]

「レイルウェイ・ライター」なる肩書きが自ら名付けたもの、すなわち『自称』であることは周知の事実です。また、シナリオライターやコピーライターなどと異なり、第三者から見た職業名として市民権を得ているとは言えません。実際、Googleでの検索結果もほぼ全て種村氏に言及する記述です。したがって「自称」と付けることに何ら不思議な点はないと思いますが…。というか、「自称」と付けることで具体的にどういう問題があるのか、明らかにしてください。とくにWikipedia:ウィキプロジェクト 作家のルール(というほどのものはないと思いますが…)のどこに抵触するのかについて。--220.146.30.23 2005年12月25日 (日) 21:36 (UTC)[返信]
投稿日から見て、秋の虹さんが問題としていたのは2005年11月11日 (金) 13:36(UTC)の版でしょう。これを見ると確かに問題があったと思います。このような書き方ではなしに「レイルウェイ・ライター」が種村氏の考案した名称であることを書くのであれば、それ自体には秋の虹さんも反対はされないと思いますよ。 -- NiKe 2005年12月26日 (月) 01:09 (UTC)[返信]
まず、レイルウェイライターという名称は西本裕隆など、他の鉄道ライターも過去に使用していた経歴があり、さらにこの名称は種村の著作によるとサービスマークなどへの登録が拒絶されている経緯があります。また、宮脇俊三氏の肩書きとしても用いられることがあります。つまり、鉄道に関する著作をしている人物の職業名はレイルウェイライターであるという認識が一般に広まっていた時期があり、現在でもその意識が残っている人がいると考えられます。現在はレイルウェイライター=種村直樹のイメージが強くなりすぎてしまったので他の鉄道系ライターは肩書きを「鉄道ライター」などにしていますが、今後この肩書きを再び他の人が使う可能性があります。こうした状況から本文冒頭で「自称」とするべきではないと考えます。
さらに種村直樹が自分で称したということは年表中の表現で自明です。もし、どうしても本文中に自称であるということを書かなければこの人物に関する説明が百科事典として役に立たないものであるのであれば、冒頭になんの説明もなくいきなり「自称」と書くよりもどうしてこの記述が必要なのかを明確に説明しつつ、本文中で書くほうが読者にわかりやすくなるでしょう。もし、これを読んでも「やはり本文中に記載するべきである」とお考えになった場合は種村直樹のことを知らない読者にもその記述がなされている理由が判るように配慮しつつ、Wikipedia:中立的な観点を念頭に置いて一方的な攻撃にならないようにご注意頂ければ幸いです。
また、スタイルの件ですがWikipedia:スタイルマニュアルWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)はWikipediaのスタイルを決めている基本的なルールであり、これを守って記述する必要があります。今回ですと作家に関する記述ですのでWikipedia:ウィキプロジェクト 作家を見て頂くとスタイルに関してはWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)Wikipedia:スタイルマニュアルを見るように案内がなされています。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)に提示されている例を見て頂くと太字にするのは本文冒頭の人物名のみで、その後ろの肩書きなどは太字にしないことが判ります。また、マークアップは適切に行うということもWikipedia:スタイルマニュアルにはありますから、たかが種村直樹一人がよく使用する語句を太字にしなければならない意味はないと考え、太字を極力減らすように改訂しています。
これらのご説明でご理解頂けましたでしょうか。よろしくお願いいたします。--秋の虹 2005年12月26日 (月) 01:08 (UTC)[返信]
あ、種村氏が初めて名乗ったわけではないのですか。これは申し訳ない。 -- NiKe 2005年12月26日 (月) 01:16 (UTC)[返信]
218.230.246.193=220.146.30.23ですが、NiKeさん、秋の虹さんのご説明で経緯は判りましたし、確かに当該版の記述については問題があると思います。ならば、ノートのこの項目ではそのことについて説明すべきであって、『自称と付けたがる方』云々という書き振りは、不要な対立を招くだけだと思います。自称という表現を本文に入れるか入れないか、入れるとすればどこにどのような形で入れるべきかを議論するほうが建設的だと思います。P.S.種村氏が初めて名乗ったんだと思いますよ。サービスマークなどへの登録がいつごろ試みられ、どういう理由で成功しなかったかは存じませんが…。--218.230.246.193 2005年12月26日 (月) 01:49 (UTC)[返信]
「レイルウェイライター」という呼称は種村直樹の考えついたものですが、一般名詞の組み合わせなのでいろいろな人が「これはよい」と使用していた時期がありました。種村も特に使用に関して警告などはしていなかったようです。一般名詞ですから使うなと警告したら顰蹙ものだとは思いますけど。他の人が使わなくなった経緯は上で述べているとおりです。
サービスマークなどの件は、どの書籍に出ていたか忘れてしまったのですが、確か徳間書店か実業之日本社の本で、とある弁理士の方が登場するときにその辺の下りが書かれていたと記憶しています。表現に関しては確かにご指摘の点、あたるかもしれません。以後気を付けたいと思います。--秋の虹 2005年12月26日 (月) 02:41 (UTC)[返信]
私はやはり「レイルウェイ・ライター」は、現時点で職業名として市民権を得ていないと考えます。一時期誰かが使っていたからと言って、定着しなかったのであればそれは「一般的」とまで言えません(同じ理由で、種村一人が引き続き利用しているなら「一般的」ではない)。また、将来普及の可能性まで云々していたら、どんな風変わりな職業名を出してもいいことになり、収拾が付かなくなるのではないでしょうか。
ただ「自称」「称する」という表現に否定的ニュアンスがあり、「自称」否定派の方々はそれも気にしておられるのだと思います。であれば「『レイルウェイ・ライター』と名乗りを上げている」など、表現を変えることで対処できると思います。少なくとも私は、職業名欄の冒頭で「レイルウェイ・ライター、…」と挙げるのには反対です。 --Bakkai 2006年2月16日 (木) 04:37 (UTC)[返信]
冒頭ですが、「種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - )は、日本の作家、随筆家、評論家。また、自らをレイルウェイ・ライターと呼称している。鉄道に関する時事評論や紀行文、推理小説を数多く発表している。」とするのはいかがでしょう。妥協案になりますが、両者の見解を統合するとこれが一番良いような気がします。--Ihsanan 2006年2月16日 (木) 05:44 (UTC)[返信]

過去の犯罪について[編集]

  • 必死になって過去の犯罪を年表に載せようとしている人がいますが、既に本文中にこの件は記載されています。もちろん、この件は作風を語る上では避けることのできない内容ですから本文中にあるような表現は必ず入れるべきであると考えます。この内容まで削除することには反対いたしますが、年表へ入れて詳細に記さなければならないほど、この人の作家活動に対して、また、この件が社会的に多大な影響を与えたとは考えられません。まさに本文にもあるような「種村憎し」の感情でどうしても入れたいのでしょうが、ここは種村なる作家を批評する場ではなく、あくまで百科事典の作成する場所です。本件を入れようとしている方はWikipedia:削除の方針の「逮捕歴などを本人が積極的に公開し、自作中で使用している作家の逮捕歴。」を載せるべきであるという論拠とされていますが、一回だけ著作中で触れたことがあるものの「積極的に公開」しているとは思えません。また、同時に同方針には「スポーツ選手・研究者・作家などの記事内で、その活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴、裁判歴、個人的情報など。」とあり、あくまで活動への影響を考慮するように求めています。さらに「いずれにしても、個人の実名や個人情報を含むという理由で削除依頼される可能性はありますので、実名などを記載する場合は該当記事のノートページなどであらかじめ他の利用者と話し合い、記載すべきかどうか十分に検討し合意をとりつけてください。」とあります。今回の件はきちんと議論されておらず一方的な感情で行われていますので削除いたしました。本文の記載では足りないというのであれば、Wikipediaの記事として、年表へ掲載しなければならない意義を関係者以外にも判るように社会的・歴史的な意味合いも含めながら、また本作家の現在の活動へ多大な影響を与えている事例と共にご説明下さい。私は、本件は現在本文中にある内容で十分であると考えています。--210.189.236.45 2005年12月21日 (水) 01:22 (UTC)[返信]

妄想を書き殴る方へ[編集]

2005年12月21日 (水) 05:24(UTC)の版をはじめとして、ここ数回の編集をされている125.0.13.199氏の編集はあまりにもPOVであると考えます。2005年12月21日 (水) 05:24(UTC)の版に追記されている内容は以下の理由で削除いたしました。

鉄道ジャーナル社との関係の項ですが、RJ本誌はルポ1本・レビューの連載1本・コラム1本で執筆は減少していません。旅と鉄道はRJの別冊ではありません。外周新報はSiGnal社が発行している出版物であり、内容を見れば判りますが旅と鉄道の連載とは趣を大きく異にしています。また、同新報における種村直樹の原稿量は4ページ程度で多数は同行した取り巻きの旅行記が主体です。これが原因で関係が弱体化しているという事実の提示がないため、この内容は中立的観点から問題があります。

SiGnalの項ですが、設立目的は同社のホームページ[ http://www.e-signal.jp/company.html]にあるように種村の印税収入を図ることが目的ではありません。また、登記を見る限り種村直樹は役職に就任していません。また、登記によれば同社取締役に占める種村直樹レイルウェイ・ライター友の会の会員は1名であり、同友の会中核メンバーが取締役会を占めているという事実もありません。さらに販売ルートも[1]にあるように全国の書店で購入できます。

このように間違いだらけの文章であったため、削除いたしました。種村が嫌いなのはよくわかりますが、ここはWikipediaというオンライン百科事典であり、個人のホームページでなければ、意見を主張する場でもありません。ましてや個人の妄想を書き捨てるための場所でもありません。

この項目は信者もアンチも協力し合って、種村直樹という人物を客観的に説明できる文献として機能しています。その貴重な資料を個人の感情で弄ぶ行為は慎むようにお願いいたします。210.189.236.45 2005年12月21日 (水) 06:07 (UTC)[返信]

このままでは投稿停止になりかねません。事実でも、中傷はまずいのでは。--58.91.170.24 2005年12月21日 (水) 18:34 (UTC)[返信]

鉄道ジャーナル社との関係ならびにSiGnalの件について[編集]

210.189.236.45氏こそ、中立性を盾に種村氏に都合の悪い情報を載せまいと躍起になっていませんか?

まず、鉄道ジャーナル社との関係について 「鉄道ジャーナル社との関係の項ですが、RJ本誌はルポ1本・レビューの連載1本・コラム1本で執筆は減少していません。」との事ですが、それまで担当してきた「メイン記事」の執筆からはずれ、今まで独立したページで扱われていたレビュー・コラムも巻末に移動し、その他雑記事と同様の扱いをされています。これは、鉄道ジャーナル社が種村氏との関係を見直し、メインライターという扱いからその他多数のライターと同じ扱いへとシフトさせている=鉄道ジャーナル社との関係の弱体化を明確に示しています。 また、「同新報における種村直樹の原稿量は4ページ程度で多数は同行した取り巻きの旅行記が主体です。これが原因で関係が弱体化しているという事実の提示がないため、この内容は中立的観点から問題があります。」との事ですが、「旅と鉄道」誌における「外周の旅」の記事も一般的評価は「同行した取り巻きとの旅行記」に過ぎません。元々「旅と鉄道」の企画である「外周の旅」の出版に関する主導権は鉄道ジャーナル社が持っていたものをSignalが共同企画先である鉄道ジャーナル社よりも前に最新版を出版している=ネタバレさせていることは、極論すれば「旅と鉄道」誌上で「外周の旅」は重要なものでなくなり、本来なら信義則上許されない「ネタバレ」が許されているとしか考えられません。(今までも、外周の旅が他の出版媒体に出ることがあっても、旅と鉄道誌に掲載後の記事のみだった。)

次に、Signalに関してですが、「SiGnalの項ですが、設立目的は同社のホームページ[ http://www.e-signal.jp/company.html] にあるように種村の印税収入を図ることが目的ではありません。また、登記を見る限り種村直樹は役職に就任していません。また、登記によれば同社取締役に占める種村直樹レイルウェイ・ライター友の会の会員は1名であり、同友の会中核メンバーが取締役会を占めているという事実もありません。さらに販売ルートも[1]にあるように全国の書店で購入できます。」との事ですが、まず、種村氏は登記簿には載らない「顧問」という形でSiGnalに関係しています。また、同社HPに「(株)SiGnalの設立メンバーは、出版社の編集者として、フリーのライターや編集者として、あるいは編集プロダクションの経営者として、それぞれの経歴のなかで編集・制作の経験を培ってきました。出版業界のみならず、専門学校講師、イベント企画・運営、ソフトウェア制作、ホテルマンや旅行添乗員などのサービス業といったさまざまな社会経験を生かして、これからの時代に必要とされる創造的な企画を実現します。」とありますが、種村氏が自らの著作で「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」会員(しかも中核メンバーだけ)しか参加できない、「外周の旅」の記事の中で参加者紹介の中にSiGnalでの役職が紹介される事が多いこと、更に具体的に帝国データバンクによるSiGnalの取締役の情報では、代表者1が長女の夫 代表者2が「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」の中核メンバー、取締役が種村の長女ならびに「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」の中核メンバー×2、(種村直樹レイルウェイ・ライター友の会のメンバーについては、会員しか参加できない乗り継ぎのたびなどの参加者リストで確認)監査役が種村の妻です。このような状態では、取締役会を「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」の中核メンバーが占めているといっても過言ではないでしょう。

まず、この編集には事実関係において疑問が付いているのですから執筆を強行するのではなくノートで合意を得てから編集するべきです。
また、今回あなたが返答した内容は、あなたが事実をかいているのではなく単なる個人の推測を書いているにすぎないということを露呈しましたね。Wikipediaは事典です。個人の妄想を書く場所ではなく事実関係を書く場所です。
鉄道ジャーナルのメイン記事とは何でしょう?特集でしょうか?列車追跡でしょうか?特集記事を毎回必ず書いていたという事実はないはずですがいかがでしょう。また列車追跡は種村の連載ではなくさらに最近は毎号出ているわけでもないですよね。
コラムが2ページにまとまったのが両者の関係が冷却した証拠であるとするのは話が飛躍し過ぎでは?
外周新報と連載を比較すれば内容の違いを理解できますが読み比べはされましたか?
両者関係が本当に悪化しているのであれば連載自体打ち切るのが普通ではないですか?
外周の旅は鉄道ジャーナル社が仕切っているという証拠は?外周の旅は種村直樹が始めたことであり、連載を載せているという事実だけで鉄道ジャーナル社が指導する立場にある(あった)という解釈をすること自体が個人の推測では?
外周新報の内容はご覧になりましたか?参加した取り巻きが自分で書いた旅行記と読者からの便り紹介がほとんどで種村が書いている取り巻き旅行記は最大でも4ページと書いたのです。実物を読まずに証拠としてあげること自体が個人の推測である証拠では?
外周の旅への参加者は種村直樹レイルウェイ・ライター友の会会員に限られていません。会員ではない人も参加しています。
SiGnal社の役員は一人を除いて全員種村直樹レイルウェイライター友の会の非会員です。この点は外周の旅参加者=会員という個人の推測から来る誤認です。乗り継ぎ参加者リストから調べたとありますが会員名簿と突き合わせていないのでは個人の推測にすぎませんよね。イベント自体は著作にも書かれているように非会員が参加していることもあります。また著作を読めば役員に名前を連ねている人を説明する中で会員ではないという記述があることにも気がつかれたと思いますがそこは無視でしょうか?一度SiGnal社に問い合わせてはいかがでしょう?
悪いこともいいことも事実ならば書いて行くべきですが、嘘や妄想、推測を書きたければ個人ホームページでお願いします。Wikipediaはそういう場所ではないことをよく理解してください。また、記事の流れや内容のまとめ方に配慮して書く必要もあります。
問題の箇所は削除しました。これらの疑問並びに事実の提示に対してきちんとした証拠を持った反論とその証拠が正しいと多くの人が合意できるまでは追記するべきではありません。--210.189.236.45 2005年12月22日 (木) 00:43 (UTC)[返信]
取り巻き出版社云々など、IPユーザの推測による記述は別として、SiGnalが種村直樹の親族と友人によって設立されていて、現時点では種村直樹の出版物しか出していないことを考えるとその辺はきちんと説明しておいた方がよいように思えます。親族が経営する自前の出版社を持つという事実は隠蔽するべきではありません。概要をもう少しまとめ直す必要もあるとは思いますが、きちんと触れておくのがよいと考えますがいかがでしょうか。例文としては

=== SiGnal ===

種村直樹の親族とその友人によって設立されたSiGnalという出版社が存在している。この出版社は自費出版なども扱うことになっているが、現時点では種村直樹の復刻本を出版することがメインの事業となっている。このような親族経営の出版社から復刻本を出すことに対して、昔からのファンから「同人誌の延長線である」という反対の声がある一方で、「廃刊になってしまった内容を出してくれるところがなかったので嬉しい」という歓迎する声も聞かれる。また、「復刻ばかりではなく書き下ろしを出して貰えないか」とSiGnalへ期待する声もある。しかし、「親族経営の出版社があることでメジャーな出版社からの出版がなくなってしまうのではないか」とSiGnalの存在そのものを危惧する人もいる。このように、親族経営の出版社が設立されたという事実は、ファンの間でも賛否が大きく分かれている。

というのを上げておきます。これであれば中立的な観点も保てますし、こうした他の作家には見られない特異な状況が種村直樹に発生していることも明確になります。どちらの立場の方も片方の言い分だけを通そうとするのではなく、どうしたら事実だけを明確に記述することが出来るようになるのかを冷静に検討して下さい。この件は削除依頼のところにもコメントで提示しておきます。--秋の虹 2005年12月25日 (日) 04:16 (UTC)[返信]

悪筆について[編集]

会員が読み取れなかったというのが悪筆の証明になるというのは意味が通りません。おそらく「会員→会員は古参である→古参ですら読み取れない」という論法だと思うのですが、会員が読めなかったというのは記述する必要があるでしょうか。本人が読めないというのであれば記述に値すると思うのですが、百科事典としてその記述がないと悪筆であるというのを説明できるとはちょっと思えません。よって、不要だと思うのですがいかがでしょうか。--Ihsanan 2006年2月16日 (木) 00:41 (UTC)[返信]

私がかつて種村に出した質問状への返事は、客観的に見ても「読めない」字がかなり多かったです(10年以上経った今でも意味が分からない所もあります)。そこへ同じ頃「TTTT」に、会員談として「種村手書きのリストを会員が読み取れなかった」との記述が載ったのです。複数の関係者が「悪筆だ」という見解を出したのなら、それを記述するのに何か問題があるでしょうか。そもそも「悪筆」という語は通常「複数の他人が読み取れない」という意味ですし、悪筆の持ち主が「自分でも読めない」というのは、悪筆とは別の問題です。
ただ誤解しないでいただきたいのは、私はアンチ種村として記述しているのではない、ということです。「悪筆」についての記述は、石原慎太郎などにもあります(石原の悪筆については筒井康隆著『乱調文学大辞典』にも記述されています)。客観的事実とほぼ認定されている事柄に触れているだけで、悪筆を種村の「欠点」とあげつらっている訳ではありません。なお私が書いた見解は「悪筆だがマメな返事は評価すべき」という所までです。「せめてもの善意」にしても、皮肉は込めてません。 --Bakkai 2006年2月16日 (木) 05:01 (UTC)[返信]
アンチとか信者とかではなくて百科事典への記述はそこまで詳しい逸話を紹介しなくてもいいのではないかと思うのです。複数の関係者の見解とのことですが百科事典としての本文記載されているのは一人の会員であり、複数の見解にはなりません。また、ファンクラブの会報に書かれている内容は限られた人しか確認できない内容です。一般書籍と同じように客観的に評価できる内容として百科事典に掲載出来るかといえば出来ないと考えた方がよいと思います。悪筆であると書いてあればそれだけで事足りると思うのですが、もし、逸話を挙げるべきであるということであれば
なお、種村の悪筆具合は自らの著作で「読者に出した手紙が読めないという苦情をもらうことがある、親御さんからどういうつもりだという苦情の手紙をもらったこともある」<!--気まぐれ列車シリーズなど著作内で多数登場する逸話-->と自分で紹介しているほどである。
としたほうが自分の著作に出していることですから客観的でNPOVだと思います。更に会員がどうこうと書くとその部分の些末な表現を巡って編集合戦になる可能性もあると思いますが、いかがでしょうか。なお、まめな返事に関しては皮肉としてとったのではなく、内容が独自の研究なのでコメントアウトしただけです。--Ihsanan 2006年2月16日 (木) 05:44 (UTC)[返信]
「自著での紹介」のエピソードがNPOVなら、それであれば記述していい、ということですね。「石原慎太郎なら良くて、何故種村直樹なら悪筆に触れてはならないのか」との考えもあるのです。 --Bakkai 2006年2月16日 (木) 06:34 (UTC)[返信]
石原慎太郎の項目で書かれている内容は出版社に設置されていたという「事実」が客観的に書かれているので問題ないと思います。種村直樹にもそうした解読専門の部署があれば逸話として書くべきでしょう。しかし、解読部署を置くほどの人物ではなかったようで、そうした逸話がありませんから、私は現在コメントアウトしていない「返答が凄まじい悪筆である」という部分だけ書いてあればよいと考えました。Bakkaiさんは「もう少し細かい逸話で自分ではなく他人がそう見ている」という内容も載せるべきというお考えのようですから、間をとって自分で著作に書いていることで他人が種村直樹を悪筆だと思っている内容をまとめてみました。著作に書いてある内容ならばNPOVですし、編集合戦になりようがありません。そこで案を提示したのですが、私の提示した案はいかがでしょうか?--Ihsanan 2006年2月16日 (木) 08:32 (UTC)[返信]
提示された案でいいと思います。 --Bakkai 2006年2月16日 (木) 16:23 (UTC)[返信]
では、合意が取れたということで本文を編集しておきます。--Ihsanan 2006年2月17日 (金) 00:39 (UTC)[返信]

ファンクラブの会員制度について[編集]

ファンクラブの会員制度などですが、果たしてここまで細かい記載は必要でしょうか。書かれている内容も他の部分と重複します。ここまで細かい内容を書かないと種村直樹を説明できないとは思えません。百科事典ですから「この程度ならいいのでは」ではなく、これは書かないと種村直樹を知らない人に説明が出来ない、という内容にするべきであると思います。今回追加された内容を入れなければ種村直樹は説明できないのであるという意義などがありましたらお願いいたします。--Ihsanan 2006年2月16日 (木) 00:46 (UTC)[返信]

会員制度の問題点については、何らかの形で触れるべきだと思います。種村にとって「ファンクラブ」が大きなキーワードである以上、ファンクラブの詳細に触れないと、ファンクラブが内包する問題点をWikipedia読者は誰も知らないことになってしまいます。それに会員制度の例は、直前で記されている「お山の大将」の具体例、という性格も持っています。会員制度の経緯は、第三者に説明する上でやはり必要と思います。もし長文になり煩わしいなら、段落を分ければいいことです。
私事ですが、私はかつて「予備会員」で、実際に「おしゃべり会」でのそのような問題点に接してきた一人です。しかし一方で、今回の一連の投稿では手紙の件をはじめ種村直樹の長所も短所も挙げた積りです。私は自分では「種村信者」とも「アンチ種村」とも思ってません。「こういう自分なら少しでも客観的に書けるのでは」と思い、寄稿したのです。 --Bakkai 2006年2月16日 (木) 05:01 (UTC)[返信]
ファンクラブの内包する問題点は種村直樹の説明に必要なのでしょうか。いまコメントアウトされている部分がなければ、あるいは具体例がなければこの人物に関して説明することは不可能だとは思えません。現状でも十分意味が通じます。この記事は種村直樹に関する記事であり、ファンクラブに関する記事ではないので必要最小限に留めておけばよいと思います。また、そうした問題点は独自の研究となるので編集合戦が勃発する可能性が極めて高くなります。この人は評価が大きく分かれるので出来る限り編集合戦が起こりにくい文面にしておく方が無難だと思います。--Ihsanan 2006年2月16日 (木) 05:44 (UTC)[返信]
それなら、
「またファンクラブ会員が『会員』と『予備会員』とに分かれているのも問題とされることがある」
とだけ書くのはどうですか。これでもまだPOVですか。 --Bakkai 2006年2月16日 (木) 06:38 (UTC)[返信]
いただいた素案を元に以下の文章を考えてみました。
また、ファンクラブ会員は入会年次によって「会員」と「予備会員」とに分かれている。以前は会員のみが参加できる汽車旅イベントが開催されていた。しかし、新しい人は会員が止めない限り予備会員になれないため、この区分けが「古株を優遇している」と問題とされることがあった。現在では呼称の違いだけで会員と予備会員の違いはない。
という記述程度に留めておくのはいかがでしょうか。過去の問題と現状が並ぶため、NPOVだと思います。--Ihsanan 2006年2月16日 (木) 08:32 (UTC)[返信]
うまいまとめ方ですね。これなら納得できます。 --Bakkai 2006年2月16日 (木) 16:23 (UTC) [返信]
では、合意が取れたということで本文を編集しておきます。なお、文章が少し変でしたので
また、ファンクラブ会員は入会年次によって「会員」と「予備会員」とに分かれている。以前は会員のみが参加できる汽車旅イベントが開催されていた。しかし、新しい人(予備会員)は先に入会している会員が止めない限り会員に昇格できないため、この区分けが「古株を優遇している」と問題とされることがあった。現在では呼称の違いだけで会員と予備会員の違いはない。
として掲載しておきます。模試、問題があると思いましたらすぐコメントアウトにしてこちらで提起して頂けますでしょうか。よろしくお願いします。--Ihsanan 2006年2月17日 (金) 00:39 (UTC)[返信]

プラスさせていただきますが、次のことを書いておくべきだと思います。

友の会は表向き、「読者同士の親睦」をうたっているが、実質的は種村への貢献のためのものである。種村が旧知の会員を優遇するのは、旧知の会員が自分の行動に利用しやすいことである。自分の親衛隊(取り巻き)に実質的な階級があり、会員が上の階級を求めるようになる。会員は自分が著作に載ることを誇りとするため、必然的に種村の機嫌をとるのが現状である。また、種村や古株を批判する文章は公にされず、種村や会の執行部によってつぶされるか組織的に批判が起こる。嫌われた者はスケープゴートとして組織的に匿名の手紙で嫌がらせをうけたり2ちゃんねるに実名でさらされるなど被害が出ることも多い。220.63.216.49 2006年6月9日 (金) 10:35 (UTC)[返信]
「ノートを見よ」と差し戻されたのでリバートします。実際、会員の一部に実名で2ちゃんねるでさらされていることは事実です。2ちゃんねるを見ればわかることです。また、「種村直樹」で検索しても、2ちゃんねる関係を見れば実名でさらされている会員がいることがわかるはずです。実際、被害者もいるため、重要なことと思います。--たぬき 2007年9月6日 (木) 05:31 (UTC)[返信]
(追加)ノートを見よ、と書いてありますが、それらしき文章がないことに気づきました。関係者による書き換えでしょうか?それと、リバートを要約欄に書き込むのを忘れました。すみません。--たぬき 2007年9月6日 (木) 06:06 (UTC)[返信]
ここで一度検討した内容であるのだからまずはここで内容を提示した上で検討して修正するべきであろう。それに匿名掲示板はWikipediaの参考文献としては使えない。第三者による正式に出版された書籍を提示せよ。文献が提示できなければ掲載はできないのがWikipediaのルールである。--Ihsanan 2007年9月7日 (金) 02:29 (UTC)[返信]
本件についてはWikiepdaの公式方針であるWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないが参考となる。現時点の編集内容は誰でも検証することができる参考文献が提示されておらず独自研究の域を出ないものである。被害者がどうしたという話もWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんを見れば公式方針に反していることがわかるだろう。参照されたし。--Ihsanan 2007年9月7日 (金) 02:35 (UTC)[返信]
都合の悪い記事を隠そうと躍起になっているようで。私の文章には「検討した内容」の部分とは一切関係ないはずだが。2ちゃんねるとかいじめの問題は論議された形跡が一切ない。大体検証可能性というのは、「トンデモ本を信用してトンデモ理論を載せる事の問題」ではないのか。「嫌がらせがあると吹いて回る問題がある」という記事ならそれに値するであろうが、「嫌がらせが存在する事実」について書いているのだから、嫌がらせに値する文章が存在する時点で成り立っている。それと作家とその取り巻きの存在について書物に載るとしたら、種村本に載っている人物の傾向でわかるものだ。それと「2ちゃんねる」などの記事など正式な出版物を持たないものでも記事が存在する例もある。えらそうな言葉遣いでなめているようだが、程ほどにしてほしい。えらそうな態度なら折れると思うな。--たぬき 2007年9月7日 (金) 04:21 (UTC)[返信]

(インデント戻し)コメント依頼から来ました。一般論として言うが、2ちゃんねるしか情報源がない記載は、除去されても仕方ないと思う。2ちゃんねるに関連する項目も、大抵は出版物等の出典もあるものか、あるいは項目の存在自体が議論になっているというのが現状だと私は認識している。種村氏の場合、この手の職業人としては読者、ファンとの接点がかなり多い方のようなので、「自分が直接知った」情報と「出版物等によって公表された」情報が混在しているのではないかと思うのだが。--DEN助 2007年9月7日 (金) 06:03 (UTC)[返信]

もう一言、「えらそうな態度なら折れると思うな」みたいな発言は、味方になってくれるはずの人も敵に回す可能性がある発言で、感心できない。とにかく議論の場では冷静さを忘れずに……。--DEN助 2007年9月7日 (金) 06:07 (UTC)[返信]

えらそうだというならば丁寧な言葉で書きましょう。載せたいと思うなら文献を提示しないとだめです。上でリンクしているとおり、Wikipediaは主張をする場でも独自の分析を載せる場でもないのです。第三者による誰でも確認できる文献を提示してください。掲示板ごときはいくらでもあり、賞賛するものから中傷するものまで多数かかれています。今回のような内容は文献が提示されなければならないと思います。「載せたいと思う人が文献を提示する」ことはWikipediaの基本です。--Ihsanan 2007年9月7日 (金) 06:47 (UTC)[返信]

言葉遣いについては反省しています。しかし問題が違うと思います。
簡単に説明すると、「○○は態度が悪い」という書き込みを○○という人への批判のソースとするとこれは問題と思います。しかし「○○は態度が悪い」という批判が書き込まれたという事実について語ることは問題として違うのではないでしょうか?実際に批判されるようなことをしているとは別に、2ちゃんねるで悪口を書かれている人がいる事実について書くことと、書き込みの内容が事実かどうかを2ちゃんねるをソースとして論述するのでは意味がちがいます。私が書いた内容は前者ですが、ここでの議論は後者をベースにしているため混乱しているのではないでしょうか?--たぬき 2007年9月9日 (日) 09:15 (UTC)[返信]
しばらく期間をおいて冷静になってもう一度見直してみましたが、私の意見に問題点はないと考えます。具体的に引用をしながら問題点を指摘します。(下記引用はすべて2007年9月7日 (金) 04:22の版を用いた)
>2ちゃんねるで特定の会員を糾弾するスレッドを立てて嫌がらせをする2ちゃんねらーである会員が多いといった問題がある。
この文章は特定の会員を糾弾する別の会員がいるという文章です。これを客観的に示す文献がありますでしょうか。この内容はあくまで推測であり、本当に会員が書いているのかどうかは推測の域を越えていません。独自の調査でないというのであれば文献が必要です。
>友の会トップの古株(取り巻き)と新参者では会の中でも発言力が違う
発言力が違うというのは推測で独自の分析です。第三者の書いた客観的な証拠があるようでしたら文献を提示してください。
>取り巻きは個人的付き合いに発展するのにそれ以外は無視される
この点も推測で独自の分析です。第三者の書いた客観的な証拠があるようでしたら文献を提示してください。
>更に取り巻きおよび事務局長の専横ぶりの激しさと、それを非難する、あるいは主義主張が違う投書をしたものにバッシングを行う
この点も推測で独自の分析です。第三者の書いた客観的な証拠があるようでしたら文献を提示してください。
>会報の発行元自体が事務局であるため、非難が黙殺されたりバッシングの対象になることへの恐怖を感じるものもいる
この点も推測で独自の分析です。第三者の書いた客観的な証拠があるようでしたら文献を提示してください。
>怖がって批判を出さない相当数の退会者がいるが、解決はしていない
この点も推測で独自の分析です。第三者の書いた客観的な証拠があるようでしたら文献を提示してください。
以上となります。なお、現在の内容について種村直樹の気まぐれ列車シリーズを読むとイベントの説明欄でしばしば出てくる内容なので文献から確認の取れる内容です。補足しておきます。--Ihsanan 2007年9月13日 (木) 07:01 (UTC)[返信]
2ちゃんねらーの会員がいることについては、2ちゃんねるで個人情報を誰かが流し、事実、不事実にかかわらず嫌がらせの原因となる情報を流す人間がいるということです。会員が絡んでいないと第三者では情報は流れないはずです。書き込みをした中に相当数いなければ書き込みは成り立たないはずです。「種村直樹」で検索して2ちゃんねる系のHPを見れば誰でも存在がわかるはずです。
「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」の会誌「TTTT」が十分参考文献になると思いますが。ここで行われている現状の殆どがわかると思います(誰でも仕入れられるかという問題があるのみですが)--たぬき 2007年9月13日 (木) 08:21 (UTC)[返信]

(インデント戻し)まず2ちゃんねるを出典にした記載はしない方向で検討できませんか? 刑事事件や訴訟沙汰になれば別ですが、現状では「書かれている」事実があるだけでしょう? 書かれて困る人もきっといるでしょうが、事件にならない限りWikipediaでの記載は不要と判断します。会誌を出典にする例ではWikipedia:井戸端/subj/タレントのファンクラブ会報は信頼できる情報源かに参加した経緯から、あまりお薦めしません。--DEN助 2007年9月14日 (金) 04:08 (UTC)[返信]

わかりました。会自体に問題があるのは確かですが、いい方法がないということで棚上げということで一応終わりましょう。しかし他の文章も多少は推敲の必要があると思います。事実であって被害者がいるのが確かですが、事件ではないことが問題です(本当は事件になるレベルとは思いますが)。--たぬき 2007年9月14日 (金) 05:42 (UTC)[返信]
友の会のシステムに原因があることだけははっきりしています。
  1. 郵便で通信しているため第三者にわからないところで問題がおきている
  2. 運営と会誌作りが同一者・・・つまり権力とメディアが同じところであり、腐敗が公にならない
  3. 表向き信用社会であるため、悪質な関係者の存在に気づきにくいし、それが報道されない
  4. 種村は表向き親睦を言っているが、一部会員(取り巻き)とはべったりだがそれ以外はあまりかかわらない
このことは種村の問題にとって重要と思いますので、何らかの形で織り込むべきとは思います。--たぬき 2007年9月14日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

それらの指摘は全てWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないからみて問題があります。重要かどうかはあなた個人の判断であり、それはつまり独自の研究です。例えば本人が著作に書いている内容は検証が可能なので書けますがご指摘されている点は一個人の勝手な分析です。個人サイトで書くのは止められませんが、少なくとも百科事典としては不適切です。大変申し訳ありませんが、もう一度Wikipediaのルールをご覧になって、理解して下さい。そうすれば私の指摘もご理解頂けると思います。これらの点をどうしても世の中に訴えたいのでしたらWikiepdiaではなく個人サイトに掲載するなり自主出版をするなりといった方法をお薦めします。--Ihsanan 2007年9月16日 (日) 17:31 (UTC)[返信]

友の会の問題点は、おおかた内輪での話でしょ? 作家個人も含めた、タレントなどのファンクラブ内部の問題は、何か告発本でも出ていなければ出典不明で記載はすべて不可ですよ。繰り返しますが、たぬきさんの言う「システムに原因があることだけははっきりしています」と書かれた出典を、2ちゃんねるのような匿名掲示板ではなく、検証可能性の方針に合致した形で示してください。--DEN助 2007年9月17日 (月) 03:05 (UTC)[返信]
一点だけ確認をしておきたいのですが、DEN助さんのおっしゃる「繰り返しますが、たぬきさんの言う」の部分は「繰り返しますが、(たぬきさんは)たぬきさんの言う」ということでよろしいでしょうか。私が求めているのはまさにDEN助さんがおっしゃられていることなのです。インデントの構成上、主語を明確にしておきたかったので余計な話とは思いつつ、念のための確認です。申し訳ありませんがご確認下さい。--Ihsanan 2007年9月17日 (月) 13:25 (UTC)[返信]
2007年9月17日 (月) 03:05 (UTC)の私の文章はインデント的にはIhsananさんあてに見えますが、ご指摘通り、たぬきさんへ向けたものです。分かりにくいやり方で失礼しました。--DEN助 2007年9月18日 (火) 00:33 (UTC)[返信]

>読者を書籍に登場させ、その言動や行動を事細かに記すという文章スタイルは「親しみやすい」という評判を呼ぶ一方で「種村は茶坊主を抱えたお山の大将」という悪評も招いた。また、ファンクラブ会員は入会年次によって「会員」と「予備会員」とに分かれている。以前は会員のみが参加できる汽車旅イベントが開催されていた。しかし、新しい人(予備会員)は先に入会している会員がやめない限り会員に昇格できないため、この区分けが「古株を優遇している」と問題とされることがあった。現在では呼称の違いだけで会員と予備会員の違いはない。

これも、事実かどうかの出典はないと思いますが・・・。内部告発でしょうか?--たぬき 2007年9月26日 (水) 05:34 (UTC)[返信]

とりあえず{{要出典}}や{{未検証}} 、{{出典の明記}} を貼って、しばらくしても出典が明らかにならなければ除去していいと思います。こちらで{{未検証S}}を貼っておきます。--DEN助 2007年9月26日 (水) 06:06 (UTC)[返信]
出典が明らかではないのでこの節を丸ごと削除します。--Ihsanan 2007年11月24日 (土) 13:02 (UTC)[返信]

三重・岐阜の件について[編集]

地元住民から非難の声が上がっているとのことですが、新聞や雑誌などで取り上げられた内容でしょうか。取り上げられているソースをご明示下さい。なお、掲示板の類はソースとはなりませんのでご確認下さい。--秋の虹 2006年4月18日 (火) 00:25 (UTC)[返信]

種村氏の作風について(三重・岐阜の件についてに関連して)[編集]

種村氏の鉄道ジャーナル上のルポを読む限り、高山本線のルポのとき「おわら盆」に当たって混雑に巻き込まれたりすると「もう頼まれてもおわら盆には行かない」と書いてみたり、近鉄線のルポで上野市を訪ねた折、たまたま町中の食堂が閉まっていた(おそらく商店街の協定か何かでしょう)ところ、「「上野市役所は観光客に月曜日は来るな」と告示すべきである」やバス旅春夏秋冬で、旅館名まで出した上で「値段の割りに玄関が粗末」「夕食の献立に(種村の意に反して)椀物が無い」などと書き、当該旅館をこき下ろしている文章もあります。、当事者が読んだら怒り心頭になるような事を平気で書く旨を加えたらいかがでしょう。

また、自分が泊まった旅館にゴキブリが出たとき、「アンケート用紙に住所・氏名を書いた上でゴキブリが出て遺憾だ」と書いている文章があり、旅館に何か侘びを送れと強要しているように取れる文章を書くなど、道義上問題がある文章を書くことも特徴として挙げられると思います。

境線についてのレイルウェイレビューを読んでから、種村には辟易しており、最近は種村の文章にアレルギーがありますが、上野市の記述は気になっていました。本来なら責任者に問うべき問題か、社会問題として世に問うべき問題と考えます。最近の種村は当事者の事情を考えない傾向にあることは事実と考えます。今の言論界の諸氏に自分の言葉に対する責任、道義的責任を全うする人がいないこともあり、種村の文章に対する問題もその一翼と思います。物書き・マスコミ関係者が天狗になっていることの一面として記載すべきと考えます。220.63.216.49 2006年6月9日 (金) 10:45 (UTC)[返信]

「ファンクラブと手紙」について[編集]

同項で「種村の読者は高学歴であることが多く、東京証券取引所一部上場企業に勤めるものも多く存在している。」との記載がありますが、どうやってそれを証明するのでしょうか? また、このような記載をすること自体が読者を差別していることにはなりませんでしょうか? それとも、SiGnalやTTTTの会員の方による意図的な書き込みでしょうか? このような記述は削除されるべきと考えます。--以上の署名のないコメントは、121.93.182.77 会話/Whois)さんが 不明 (UTC) に投稿したものです(Goncyanによる付記)。

そろそろ半保護を解除してもいいのでは? [編集]

IPユーザーによる荒らし行為で半保護されてから既に3年以上経過しています。冷却期間としては十分ですし、最近表立った荒らし行為も無い為、そろそろ半保護解除してもいい時期に来ているとは思うのですが、皆さんはどうお考えか、このノートページでご意見を募りたいと思います。

もし特にご意見が無いのならば、半保護解除でも問題無しとみなし、保護解除依頼を提出したいと思いますので宜しくお願いします。--JRCN700 2009年6月15日 (月) 14:42 (UTC)[返信]

(同意)川島令三と同様に様子見で保護解除しても構わないと思料します。--Kiku-zou 2009年6月30日 (火) 23:40 (UTC)[返信]
Kiku-zouさんから保護解除でも構わないとのご意見を頂いたのと、約3週間他の方から特に異議もなく、解除でも問題無しとみなし、保護解除依頼を提出致します。--JRCN700 2009年7月5日 (日) 14:44 (UTC)[返信]

気まぐれ列車と汽車旅について[編集]

特に鉄道に乗り、気が向いた鉄道駅で降り、降りた駅の周辺を歩き、温泉や名も知れない旧跡を回り、再び鉄道へ乗るという「気まぐれ列車」と種村が呼んでいる旅は、鉄道旅行の基本的な手法として提示されたものである。この手法は鉄道旅行愛好者のみならず、鉄道を利用した旅行のスタイルとして鉄道旅行 汽車旅という用語とともに衆目を集め、汽車旅と名の付いたムックも発行される状況まで生んだ 2000年代中期以降、引退期を迎えた団塊の世代に対する汽車旅書籍が増加しているが、内容はかつて種村が提案した手法そのままであり、現在の一般的な鉄道旅行のスタイルは種村によって築かれた、という再評価がなされている。

についてですが、まず、このような旅の手法は種村が提示した手法(種村のオリジナル)なのでしょうか?また、 誰が、何時、どのように、種村を再評価したのでしょうか?

種村が提案した旅の手法は、種村が構築した手法ではなく、それまでに同好者などの間で行われていた旅の手法を、ただ単に活字化しただけです。活字化したという事自体は評価されてもいかと思いますが、種村による活字化によって汽車旅というブームメントが起きムックが発売されるような状況まで生んだと読めるような記述や、現在の一般的な鉄道旅行のスタイルを築いたというのは、大きな誤解あるいあるいは、関係者による作為的な物を感じます。

これらの旅の手法が種村が編み出したものであるという事が確認されるまでは、上記内容では問題があると思います。 どうしても「気まぐれ列車」についての記載が必要なら

種村が「気まぐれ列車」と呼ぶ旅の手法がある。これは気が向いた鉄道駅で降り、降りた駅の周辺を歩き、温泉や名も知れない旧跡を回り、再び鉄道へ乗るという鉄道旅行の手法である。 このような旅の手法は以前から鉄道旅行の愛好家の間で行われていたものであったが、種村が活字化したためこのような旅の手法が広く広まることとなった

というのはいかがでしょうか?


更に、現在の一般的な鉄道旅行のスタイルとは、一体どういうものなのでしょうか? その辺の定義をちゃんと行っていないと、いけないと思います。