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新たに文章という項目を作るべきでは?[編集]

現在、『文章』という項目と『文』という項目は統合されていますが、 文と文章は異なる概念で、これらが統合されていることに違和感を覚えます。 (検索で文章と入力するとここに来ます。)

実際大辞泉<http://dic.yahoo.co.jp/>にも

『文法で、文よりも大きな単位。一文だけのこともあるが、通常はいくつかの文が集まって、まとまった思想・話題を表現するもの。』

とあり、この説明は、文と文章が異なる概念であることを明記したものになっています。

又、文章の種類やそれぞれの構造(特に論理的な文章の構造については、バーバラミントの考える技術、書く技術、理科系の作文技術等の権威的な文献が複数存在する)等、 書くべき話題はたくさんあり、それ単独で十分ひとつの記事が作成可能であると思われます。

さらに論理的な文章を書く技術に対する関心が高まり 『文章技術』の指南書が多数出版されている現状を踏まえると 『文章とは何か?』を解説した記事に一定の関心が集まることが予想されます。

おそらく『文』と『文章』が統合された背景には、『文』と『文章』を混同する 人間が多いということによると思われますが、これらの混同は、『文章(特に論理的な 文章)を書く』という行為を行う場合に支障を来たすと思われ、これらの混同に警鐘 を鳴らす上でも『文章とは何か』について解説した記事が必要であると思われます。


確かにこの記事『文』に関する記事で、おそらく『文』について正しく書いていて完結している。又、『文章』についてなにも記載していないことから

項目分割に関するルール http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%81%AE%E5%88%86%E5%89%B2%E3%81%A8%E7%B5%B1%E5%90%88

の想定範囲外ではありますが、先にも述べたよう 現状では、『文章』という項目と『文』という項目は統合されていて 明らかに異なるものが無理矢理ひとつにまとめられてしまった状態 というのは異常事態です。


以上を踏まえ、文章という項目を新たに作成することを提案します。


私は国語を専門としているわけではなく、また文章技術の専門家でもなく、教育 についても素人です。また、主に物性物理学をフィールドとしているので、科学的な文章という点から論理的な文章に偏る可能性がありますが、一応項目『文章』についてその内容の案を以下に書きました。随時加筆していき、他の分野の人の意見をみながら ある程度の段階でスダブとして挙げようかと思います。

夜仮面様 2007年1月8日 (月) 04:38 (UTC)[返信]

現在はリダイレクトページになっていますが、文章の記事は編集できますよ。そちらに投稿されては? -- Plonk 2007年1月22日 (月) 15:37 (UTC)[返信]

項目『文章』についての案を書きました[編集]

文章とは、複数の文を連続的かつ有機的に配列することで 、ひとつの意味の流れを持つようにしたものである。 通常は文章とは、特に『書き手が伝えたい事柄(主張、事実の説明、心情の表現等)』を『読み手に伝える』ために文字を用いて書かれるものを指す。

しばし『文』という概念と『文章』という概念がが混同されることがあるが、文法学の上では、文は文章の構成要素 として扱われている。この意味において、『文という概念』と『文章という概念』を混同することは、『細胞という概念』 と『生物という概念』を混同するに近い誤りである。

文章は大きく、論理的な文章と文学的な文章に分類 [1][注1]される。 最近ではこのうち、論理的な文章を書く技術に対する関心が高まり 『文章技術』の指南書[-]が多数出版されている。

本記事では文章を論理的な文章と文学的な文章に分類の2つに大きく分類した上で、 そのそれぞれについて詳細な説明を行う。さらに、文章の読み書きに関する教育がどのように行われているかを概説する。また文章について研究する学問や、学説を挙げ、それらの 関係も解説する。


論理的な文章[編集]

論理的な文章とは、客観的な事実の説明を行う説明文や、客観的な事実と それから論理的に演繹される主張からなる論説文等がある。論理的な文章は 主にビジネスや科学技術の現場で用いられ、『仕事のための文章』という 側面が強い[注2]。また、論理的な文章と称される文章を書く上では、 一定のルールやフォーマット[2-3]に従い機械的に書くことが良いとされ、 その推論過程や根拠とする事実が誰にでも追試、検証可能であることが望まれる。

論説文とは何か?[編集]

論説文とは、前提(仮定)及び客観的な事実に基づき、論理的に演繹することで一つの主張を、 展開する論理的な文章[]のことである。論理的な文章 といったときに、第一義としてはこのクラスにあてはまる文章を指すことが多い。 論説文には、学術論文、新聞、雑誌等の論説 小論文等がある。

論説文の書き方については『”型”と称されるルールがある』 と考えられている[]。しかし、文章技術に関する書籍の大半が ”型”の重要性は認めつつ、それについての解説が不親切、つまり『文章全体をどのように構成するのか』 ついて明確な指針を与えていないのも事実である[]。 それらの本では『一文一文をどのように分かりやすくするか』や 『句読法』と称される『点や鍵括弧の使い方の説明』に的を絞った 解説が行われていることが多い。

とは言っても、(数多ある文章技術に関する書籍の中では少数派とはいえ、)『文章全体をどのように構成するのか』を述べた書籍や解説記事が複数存在し[]、科学者[]、コンサルタント[]、教師[]等、様々な人間が様々な”型”を提示していることも事実である。これらの書籍や解説記事の著者は、概して『文章全体をどのように構成するのかを考えること』は 『物事を上手に論理立てて述べるテクニック』であり、ひいては『論理的に物事を考えること』に通じると 考えているように思われる。そのため、彼らは文章技術と併せて『論理的に物事を考える技術』 を解説することが多い。逆に『論理的に物事を考える技術』についての書籍の一部はそのページの 大半を、『物事を上手に論理立てて述べるテクニック』の説明に費やしている。


論説文の書き方、つまり”型”については、それを提案あるいは解説した人間が所属する 分野等によって若干異なり、個人によっても若干の個性があるが、 総じて論説文と称される文章は、その骨格においては 序論、本論、結論の3つの部分からなっていると見て問題ないだろう。 また、『序論、本論、結論において何を書くべきか』や、 『これらをどのように構成するか?』については、先にも述べたように 諸説あるが、一定の評価を得ていると思われるものを総合すると以下のようになると考えてよいだろう。


序論: 筆者がその文章で展開する主張や、その文章で扱う対象 を簡潔に提示し、その背景にある問題点及び関連する過去の議論の動向や概要を大まかに 説明する。又、要件、用語の定義も行う。

本論: (イ)主張の根拠となる事実: 自他の実験データ(アンケート調査を含む) 白書等の統計資料等の引用)                        を挙げる

(ロ)主張の根拠となる事実の説明: 実験データ(アンケート調査を含む)の測定(取得)方法の説明 データが何を測定あるいは調査したものなのかの説明 その妥当性を示す議論 を行う。

(ハ)関連する過去の学説の説明およびその評価: 関連する過去の学説を簡潔かつ客観的にに説明した上で 自身の主張と合致する学説の紹介及び合致している理由の説明。 自身の主張と反する学説については、その否定。 自身の主張と反するように見えるが、実はそうではないものについては反していないことの説明。(実は似ているだけで 扱う対象が違う等)                            等を行う。

(二)自らの主張が正しいことを示す為の推論過程 (イ)~(ハ)に基づき自らの主張が正しい旨とその推論過程を追試できるよう書く。

(ホ)要件、用語の定義・説明 必要に応じ、序論において行いきれなかったあるいは行うのがふさわしくないと思われる 要件、用語の定義、説明を行う。(ex:『本稿においてはパラダイムとは○○のことを意味する。』 等)

結論: 自らの主張を再度まとめる。場合によっては本論の(二)はここで行う。


尚、ここで挙げた”型”は飽くまで例であり、時と場合により『どの型が最もよいのか』は変わり得る のは当然のことである。

論理的な文章を書く上では


事実と主張を分けること[]
Mutually Exclusive,Collectively Exhaustive(MECE)[]
ピラミッド原則を守ること。


等がよく注意される。


文学的な文章[編集]

文学的な文章とは、詩や小説、随筆[注3]等のように、心情の描写や、情景の描写を 多面的かつ主観的に描いた文章のことである。文学的な文章は、表現を味わうことや その展開を楽しむなど娯楽のための文章という側面が強い。文学的な文章を書く上では むろん過去の類似する文章の表現を味わえるだけの素養があることが望まれるが、 ルールやフォーマットにとらわれず意の趣くままに書き、かつ 共感を得るものであることが望まれる。


文章に関する教育[編集]

文章の読み方について[編集]

文章の書き方について[編集]

小、中、高等の初等教育の過程では、 特に公教育においては『おもったことを自由に書くように』 といった『文学的な文章向け』の文章の書き方のみが指南され 、『論理的な文章の書き方』についての 系統だった訓練はなされていないとされている[1-]。

しかしながら、特に大学入試等において、小論文が課される場合が 増えてきたことから、進学校や予備校等の私教育の現場では 質の高い教育を行っていると思われる所もあり、 特に、予備校の講師あるいは元講師の一部が、盛んに『論理的な文章の書き方 の指南書を執筆している[]。その一部は大人向けであり、ベストセラーになったものも数多い[]。 例えば樋口裕等は、数多くのベストセラーを書いている。


又、日本の大学は、文章技術に関する系統だった教育をしていないという指摘もあるが、 『論理的な文章を書くこと』に的を絞った講義を行っている教員[]もいる。 又、学生実験のレポートなどは、論理的な文章の書き方の訓練ともみなせる。 又、大学を卒業するためには卒業論文を書く必要があるが、それは究極の 『論理的な文章を書くこと』の訓練ともみなせる。

企業などにおいても最近では文章技術のトレーニングを行うための講座を社員向けに開講することがある。ブス

文章を扱う学問[編集]

脚注・参考文献[編集]

[注1]例えば、高等学校学習指導要領(平成11年3月)においては、現代文の指導内容として

ア 論理的な文章について,論理の展開や要旨を的確にとらえること。 イ 文学的な文章について,人物,情景,心情などを的確にとらえ,表現を味わうこと。

等を挙げていて、これは[1]が、文章を『論理的な文章』と『文学的な文章』に分類していることを意味する。

[注2]無論、論説文と称される文章であっても書き手の主観やイデオロギー等に凝り固まり客観的とは言いがたいものもあり、また、論理の飛躍、捻じ曲げが多すぎて 論理的とは言いがたいものもある。

[注3]随筆はエッセー(essay)の日本語訳だと思われるがこれには 1)客観的な事実とそれから論理的に演繹される主張からなる論説文
2)論説文としても扱いえるテーマを、特に個人的、主観的な立場から述べ、 心情表現等をふんだんに取り入れた文章

の2通りの意味があり、ここでいう随筆とは後者を指す。

[1]高等学校学習指導要領(平成11年3月)http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301d.htm

[2]バーバラミント [3]理科系の作文技術 夜仮面様 2007年1月8日 (月) 06:15 (UTC)[返信]