キース・レヴィン
キース・レヴィン | |
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2012年撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | ジュリアン・キース・レヴィン |
生誕 |
1957年7月18日 イングランド ロンドン |
死没 |
2022年11月11日(65歳没) イングランド ノーフォーク州 |
ジャンル | パンク・ロック、ポストパンク、ニューウェイヴ、レゲエ、ダブ |
職業 |
ギタリスト キーボーディスト ベーシスト ドラマー 歌手 |
活動期間 | 1975年 – 2022年 |
レーベル | CBS |
共同作業者 | ザ・クラッシュ、フラワーズ・オブ・ロマンス、パブリック・イメージ・リミテッド、メタルボックス・イン・ダブ |
公式サイト | www.murderglobal.com |
著名使用楽器 | |
ギター Gibson LesPaul Delux Travis Bean TB3000 VELENO Parker Fly ベース ドラムス シンセサイザー Prophet-5 |
キース・レヴィン (Keith Levene: 生名 Julian Keith Levene、1957年7月18日 - 2022年11月11日)は、イギリスのギタリスト、作詞家、作曲家。パブリック・イメージ・リミテッドのメンバーとして有名である。ロンドン出身。
経歴[編集]
キース・レヴィンはザ・クラッシュとフラワーズ・オブ・ロマンスの初期メンバーであった。キース・レヴィンは「ワッツ・マイ・ネイム」の共同制作者であるが、ザ・クラッシュのファーストアルバム白い暴動のレコーディングには参加していない。キース・レヴィンは後にこのレコードの数曲は自作もしくは共同作だと主張したが、それを取り下げた。
サイモン・レイノルズの本によると、キース・レヴィンは熱心なプログレッシブ・ロックファンで、15歳の時にイエスの『危機』 (Close to the Edge) ツアーのローディーを務めた。
セックス・ピストルズの分解後、パブリック・イメージ・リミテッド (PiL) をジョン・ライドン、ジャー・ウォブル(英語: Jah Wobble)、ジム・ウォーカー(英語: Jim Walker)とともに結成。PiLのレコーディングでは、キース・レヴィンはしばしばシンセサイザーを取り入れるため、ギターの使用を控えた。
1980年から1981年にかけて、キース・レヴィンはパブリック・イメージ・リミテッドのアルバム『フラワーズ・オブ・ロマンス』 (Flowers of Romance) 完成後、マーガレット·パターソン博士によってヘロイン中毒の治療を数週間行っている。
彼は1983年に自身の薬物問題と新曲のアレンジでの対立が原因で、東京でのライブを目前にバンドを去った。キース・レヴィンはPiLが『ディス・イズ・ホワット・ユー・ウォント…ディス・イズ・ホワット・ユー・ゲット』 (This Is What You Want... This Is What You Get) に取組んでいた頃、オリジナル・ヴァージョンを『コマーシャル・ゾーン』 (Commercial Zone) というタイトルでリリースしている。
1985年にはキース・レヴィンの二番目の妻でジャーナリストであるシェリー·ダ·クーニャが会社を設立したのを機に、ロサンゼルスへ移住した。
1986年半ばには、キース・レヴィンはエンジニアスティーブ・カターニア、ダン・ネベンザール等とレッド・ホット・チリ・ペッパーズのアルバム『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』(The Uplift Mofo Party Plan) 用のデモを制作したが、バンドは資金を麻薬に使い果たす。また、キース・レヴィンはDJと一緒に働いていたマット·ダイクのサンプリング技術とヒップホップを試したり、アイスTとトーン・トクの「デリシャス」(Delecious) の初期レコーディングを行った。
2003年には、キース・レヴィンはピッグフェイスのアルバム『イージーリスニング...』に貢献する。そして彼は何枚かのソロ・レコードをリリースし、2004年にEP『キラー・イン・ザ・クラウド』 (Killer in the Crowd)。
2010年10月、ブリドリントンスパのミュージックポート・フェスティバルで、PiLの前任ベーシストジャー·ウォブルと合流、それにセックス·ピストルズ・エクスペリエンスのボーカリスト、ネイサン・マーヴェリックが参加する。
2011年にはローンレディのアルバム『サイキック·ライフ』(Psychic Life) でコラボレーションして、3つのトラックで貢献した。
キース・レヴィンとジャー·ウォブルはボーカリストのネイサン・マーヴェリックに、トランペッターのショーン・コルビー、ドラマーのマーク・レイトンを加えメタルボックス・イン・ダブとしての活動を開始する。
2012年初めに計画した日本公演が、自身のビザの問題のため入国できずキャンセルされたが、7月にフジロック・フェスティバルに参加する形で日本公演を実現させている。一方でジャー·ウォブルとキース・レヴィンのコラボレーションとして同9月に4曲入りの『EP』(EP)をリリース、11月にはフル・アルバム『イン&ヤン』 (Yin & Yang)をリリースした。
2015年に全曲インストの『サーチ・フォー・アブソルート・ゼロ』(Search for Absolute ZeRo)をリリース[1]。
その後は肝臓がんを患うようになり、2022年11月11日、65歳で病没した[2]。
奏法[編集]
ジョン・ライドンをして「地上に降り立った天才のひとり」と言わしめたキース・レヴィンのプレイは、ロック・ギターの定石に捕われず、トレードマークとも言える1~4弦を中心に組み上げた独自のコードに加え、ハイ・フレットを使用したコード・ワークと、ランダムなハーモニクス音によるカッディングによる演奏が特徴。PiL時代はトラヴィス・ビーン等のアルミネック・ギターを使用するなど、楽器の選択もキース・レヴィンの奏法に基づいた拘りがある。他にも1980年当時は画期的なアナログ・シンセサイザーProphet-5をいち早くPiLの『メタル・ボックス』の録音で導入するなど、初期のPiLにおける彼の音楽的貢献は大きかった。PiLの『メタル・ボックス』に収録されている「ポップトーンズ」と「レディオ4」のドラムスはキース・レヴィンによる演奏である。
ディスコグラフィ[編集]
ザ・クラッシュ[編集]
- 1977 白い暴動 The Clash (共同クレジットのみで演奏には参加せず)
パブリック・イメージ・リミテッド[編集]
- 1978 パブリック・イメージ・リミテッド Public Image
- 1979 メタル・ボックス Metal Box (45回転12インチの3枚組)
- 1980 セカンド・エディション Second Edition(メタル・ボックスを2枚組LP化)
- 1980 パリ・ライヴ Paris in the Spring
- 1981 フラワーズ・オブ・ロマンス The Flowers of Romance
- 1984 コマーシャル・ゾーン Commercial Zone(キース・レヴィンによる自主製作盤)
- 1999 プラスティック・ボックス Plastic Box
ソロ[編集]
- 1987 2011-Back Too Black
- 1988 Looking for Something
- 1989 Violent Opposition
- 2015 Search for Absolute ZeRo
マーダー・グローバル[編集]
- 2002 キラー・イン・ザ・クラウドKiller in the Crowd
- マーダー・グローバルとは、キース・レヴィンによるソロ・プロジェクト。
ジャー・ウォブル、キース・レヴィン[編集]
関連項目[編集]
出典[編集]
- ^ “Keith Levene – Search for Absolute Zero Album Reviews, Songs & More | AllMusic”. www.allmusic.com. 2024年5月20日閲覧。
- ^ “ザ・クラッシュとパブリック・イメージ・リミテッドの創設メンバー、キース・レヴィンが逝去”. Udiscovermusic.jp (2022年11月13日). 2022年11月13日閲覧。
外部リンク[編集]
- Murder Global - Keith Levene's website
- Interview with 3:AM Magazine
- Fodderstompf - fan-based Public Image Ltd. website