ウィリアム・セオドア・ド・バリー

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ウィリアム・セオドア・ド・バリー(Wm. Theodore de Bary、1919年8月9日 - 2017年7月14日)は、アメリカ合衆国の東洋思想学者。コロンビア大学の教授・理事を70年近くにわたって務めた。

概略[編集]

1941年にコロンビア・カレッジを卒業し、ハーバード大学大学院に短期間在学したあと、太平洋戦争の太平洋地域の情報部に配属された。戦後コロンビアに戻り、1953年に博士号を取得。その後非アジア系学生の勉学のため、日本、中国、インドの古典原典を英訳し、儒教の根底にある民主主義性を明らかにした。また新儒学の研究でも新たな分野を開拓した。

ニューヨーク州ブロンクス区に生まれる。父ウィリアム・ド・バリーは1914年にドイツからアメリカに渡ってきた。両親は彼が幼いころに離婚し、母はシングルマザーとして彼を育てた。父との区別のためにWm.と名乗った。1937年に学部生としてコロンビア大学に入った。中国語を学び、海軍で働いたあと1948年に修士号、53年に博士号を取得した。博士論文は「黄宗羲『明夷待訪録』について」だった。その後すぐ教授になった。角田柳作に学び、ドナルド・キーンとは友人で、来日したこともあり、長女のブレット・ド・バリー柄谷行人の『日本近代文学の起源』の英訳を行った。1974年アメリカ芸術科学アカデミー会員に選ばれる。

日本語訳著書[編集]