おやじバンザイ
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おやじバンザイ | |
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ジャンル | トーク番組 |
出演者 | 西条凡児、前田武彦ほか |
製作 | |
制作 | 朝日放送(ABC) |
放送 | |
音声形式 | モノラル |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1964年9月16日(関西ローカル) - 1965年3月10日(全国ネット) - 1973年3月28日 |
放送時間 | 水曜日22:30 - 23:00 |
放送分 | 30分 |
特記事項: 笹岡薬品の一社提供番組。 |
『おやじバンザイ』は、1964年9月16日[1]から関西ローカルで放送を開始し(一部の局にも番組販売)、1965年3月10日から全国ネットに昇格して、1973年3月28日までTBS系列局で放送されていた朝日放送 (ABC) 製作のトーク番組である。
全国ネット化後は笹岡薬品の一社提供だった。
放送時間は、朝日放送では関西ローカル時代から全国ネット時代を通じて毎週水曜 22:30 - 23:00 (JST)。
概要[編集]
毎回2組の家族を招き、彼らにアットホームな雰囲気の中で父親について放談してもらっていた視聴者参加型番組。
当初は漫談家の西条凡児が司会を務めていたが、1970年に私生活上からトラブルを起こして、同年10月19日放送分から司会を降板[2]。その後は前田武彦が司会を務めるようになり、番組タイトルも『前武のおやじバンザイ』(まえたけのおやじバンザイ)に変更された[3]。凡児らは毎回番組の冒頭で「はい、また見てもらいます…」と挨拶していた。また、スポンサーの笹岡薬品が提供する参加賞を参加者たちに手渡す際には「ハイハイ、お土産、お土産」と言っていた。
神奈川県横浜市にある放送ライブラリーには、1971年2月10日放送分の記録映像が保存されている[3]。また、ワッハ上方にも1965年9月15日放送分の映像が残されている。
ネット局[編集]
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- 朝日放送(制作局):水曜 22:30 - 23:00
- TBS:水曜 22:30 - 23:00
- 中部日本放送:水曜 22:30 - 23:00[4]
- 中国放送:下記参照
- RKB毎日放送:月曜12:15 - 12:45(関西ローカル時代)[5]
中国放送(RCC)では、開始当初は土曜日20時台に日本テレビの番組を編成していた[6]関係で、同時間帯に放送していた海外ドラマ『逃亡者』を本番組の時間帯で遅れネットしていたため[7]、押し出される形で月曜12:15 - 12:45[8]で遅れネットしていた。その後1969年5月時点では土曜12:00 - 12:30に移動していた[9]。広島ホームテレビ(UHT、現:HOME、NET~テレビ朝日系)開局後の3局時代に同時ネットとなっていたかは不明。
脚注[編集]
- ^ 読売新聞、岡山版、1964年9月16日、テレビ・ラジオ欄。
- ^ 司会者からおろす「おやじバンザイ」『朝日新聞』1970年(昭和45年)10月19日夕刊 3版 11面
- ^ a b “放送ライブラリー 前武のおやじバンザイ”. 放送ライブラリー. 2014年10月28日閲覧。
- ^ 『北日本新聞』1967年9月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 読売新聞・福岡版、1964年9月28日、テレビ欄。
- ^ 毎日新聞、香川・岡山版、1965年4月24日、11ページ、テレビ・ラジオ欄。同時間帯では、『土曜ナイター、東京 vs 東映』を放送。
- ^ 読売新聞、岡山版、1965年5月12日、12ページ、テレビ・ラジオ欄。
- ^ 中国新聞、1966年7月25日、10ページ、テレビ・ラジオ欄。
- ^ 読売新聞・岡山版、1969年5月3日、12ページ、12ページ、テレビ・ラジオ欄。この時点ではRCCの土曜20時台はTBS系同時ネット枠に移行し、同枠の日本テレビ系番組は本来の系列局である広島テレビ(HTV、当時はフジテレビ系とのクロスネット)に移行していた。
TBS系列 水曜22:30 - 23:00枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
髙島屋バラ劇場
(1963年2月6日 - 1965年3月3日) |
おやじバンザイ
↓ 前武のおやじバンザイ (1965年3月10日 - 1973年3月28日) |
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TBS系列 笹岡薬品一社提供番組 | ||
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おやじバンザイ
↓ 前武のおやじバンザイ (1965年3月10日 - 1973年3月28日) |
仁鶴・きよしのただいま恋愛中
(1973年4月 - 1974年9月) ※関西ローカルから昇格 |