ドミサイド

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2023年パレスチナ・イスラエル戦争で、空爆によって破壊されたガザ市リマル地区の建物。
2023年パレスチナ・イスラエル戦争で、イスラエル空爆によって破壊されたガザ市リマル地区英語版の建物群。

ドミサイド (英語: domicide LL-Q1860 (eng)-Rho9998-domicide.wav 発音[ヘルプ/ファイル]) は、特定の目的を追求するための人為的機関の行為によって住居[注釈 1]が意図的に破壊され、被害者に苦痛をもたらすことである[1]。当初の定義には、ドミサイドが成立するにあたって大規模や多数であることや住宅以外の建設物の破壊といったことは構成要素には含まれていなかったが、後に広義として大規模に住宅群と基本的インフラを意図的かつ組織的に破壊し、その地域を居住不可能にすることへ意味が拡大されて理解されるようになった。

語源[編集]

ドミサイドは、ラテン語で家や住まいや家を意味するドムス (domus) と、意図的な殺害を意味するカエド (caedo) [注釈 2]複合語で、地理学者J・ダグラス・ポーテアス (J. Douglas Porteous) と、やはり地理学者のサンドラ・E・スミス (Sandra E. Smith) によって、「住居を意図的に破壊する」ことを意味する用語として提唱された造語である[4][5]。その語根接尾辞の選択において、破壊の対象が人々の生活の根幹を揺るがす住居であること、人為的そして意図的な破壊行為によって被害者が苦しみを負っていること、且つ喜んで破壊を受け入れているわけではないことを表現することが重要だったという。正式な定義は、「特定の目的を追求するための人為的機関の行為によって住居が意図的に破壊され、被害者に苦痛をもたらすこと」としており、この「人為的機関[注釈 3]」は、破壊される住居がある地元の「機関」ではなく、その地域外の「機関」としている。また、破壊には計画的に行われることが多く、破壊者側は公共の利益と共通善を破壊へのレトリックとして度々使用するとしている[1]

関連用語[編集]

ドミサイドに関連する用語にトポサイド英語版があげられる。トポサイドとは、産業の拡大や変化によって、その土地の元の景観や特徴が破壊されるような、意図的な変更や破壊のことである[6]。トポサイドは、意図的な産業拡張の結果として起こることもありえ、産業が形成されると人々の生活はその産業を中心に展開するようになり、その地域の文化的および環境的ランドスケープに永遠に変化をもたらす[7]

ドミサイドとトポサイドは同義語とみなされることもあれば、破壊者の視点から見た破壊を指すトポサイドと、被害と影響を受けた人々の視点から見たドミサイドというように対立するとみられることもある。

J・ダグラス・ポーテアスが住宅の意図的な「殺害」(破壊)を表現する用語を探求していた際、トポサイドという表現は既に存在していたが、漠然とした場所や土地を意味するトポ (topo) では曖昧すぎるとして、ドミサイドに落ち着いた[1]

ハウスではなくホーム[編集]

J・ダグラス・ポーテアス達は、自宅、住宅を示す単語として、物理的な構造物を示すハウス (house) ではなく、人々の心のよりどころであり、家族が募い、思い出が詰まるなどの無形価値が加わったニュアンスがあるホーム (home) という単語を使用している[4]

後にドミサイドの観念を広く伝えることに貢献した国連特別報告者バラクリシュナン・ラジャゴパル (Balakrishnan Rajagopal) は、ホームについてこう述べている。

なぜなら、ホームは単なる構造物ではなく、過去の経験や将来の夢、隣人や慣れ親しんだ風景の中で起きた、誕生、死、結婚、そして愛する人との親密なひとときの思い出の宝庫だからです。ホームという概念は、私たちの生活に安らぎを与え、意味をもたらしてくれます。その破壊は、人の尊厳と人間性の否定です[8]

意味の変遷[編集]

ドミサイドの概念自体は1970年代に生まれ、住宅が意図的に破壊される観念を表す単語として1980年代にJ・ダグラス・ポーテアスが文献内でドミサイドという表現を使い始めたが[9]、当初にポーテアスが定めた定義には、破壊の規模の大きさは含まれておらず、破壊される建築物も主に住居に絞られていた[1]。しかし住宅が破壊されることは、単に有形の建物の損壊だけではなく、住民は退避を余儀なくされるなど被害受けた側に大変に複雑な経験をもたらし、コミュニティの崩壊を招くなど、無形の影響も多大であることや[10]人権的立場から、大規模に住宅群や基本的なインフラを意図的かつ組織的に破壊し、その地域を居住不可能にするという意味でドミサイドが使用されるようになり[11]、2022年に国連特別報告者のバラクリシュナン・ラジャゴパルが、適切な居住の権利に関する報告を行って以来、後者の意味合いが広く認識されるようになった[12][13][14]

歴史的なドミサイド例[編集]

ドレスデンの仮設スクラップ置き場のある廃墟となった住宅地。(1945年)
ドレスデンの仮設スクラップ置き場のある廃墟となった住宅地。(1945年)

ドミサイドの歴史的な例としては、第二次世界大戦中のドレスデン爆撃ワルシャワの破壊英語版、そして東京大空襲[15]カンボジアにおけるクメール・ルージュによる破壊[16]、ロシアによるウクライナ侵攻[17]シリア内戦[5]2023年パレスチナ・イスラエル戦争におけるガザ地区の破壊[12][18]などが挙げられる。

国際法専門家の見解[編集]

シリア内戦で破壊されたアレッポの住宅地。(2019年)
シリア内戦で破壊されたアレッポの住宅地。(2019年)

2024年1月時点で、ジュネーブ条約で無差別攻撃が禁止されてはいるものの[15]、ドミサイドは国際法の例えば国際刑事裁判所に関するローマ規定人道に対する罪[注釈 4]にあたる行為として個別の定義がされておらず、間接的にその他の禁止された行為を構成する要素として論じることはできるものの、バラクリシュナン・ラジャゴパルを始めとした専門家は、国際人道法などに明記することによって明確に戦争犯罪とみなし、責任の追及及び防止ができるように法を改正すべきだと主張している[5][8][13][15][17]

特にロヒンギャ居住地の壊滅、シリア内戦によるアレッポの破壊、ウクライナのマリウポリの惨状、更に2023年にはパレスチナ・イスラエル戦争ガザ地区の約72%の住宅の破壊が報告されると、その声は一層強まった[19][20]。世界的な傾向として都市への人口集中が進んでおり、武力紛争下では民家における大量破壊を伴いやすくなっている点も指摘されている[15]

また、第二次世界大戦以後の紛争は、国家間の紛争より、国家と非国家組織あるいは集団との間で起きる紛争の確率が増えてきており、国家間の紛争解決を目的とした国際法では対応できないケースが顕著になってきており、そのような法の「割れ目(ギャップ)」に落ちてしまうケースの防止と解決法を考慮し、法改正の際に「割れ目」を塞ぐことを考える必要があるとしている[20]

南アフリカ対イスラエル - ジェノサイド裁判[編集]

2023年12月下旬、パレスチナ・イスラエル戦争のさなかに、南アフリカイスラエルジェノサイド条約違反の疑い国際司法裁判所に提訴した[21]。翌年1月に行われた仮保全措置要請の公開公聴会において、南アフリカはドミサイドという単語こそは使用しなかったものの、イスラエルはガザ地区住民に退避命令を出したのちに、推定33万5千戸(2024年1月8日時点)の住宅家屋を破壊したため、多くの避難民にとっては帰るべき居住可能な自宅がなくなり、避難は恒久的なものとなっているとし、更にイスラエル兵は一区画の集合住宅群全部を「楽しそう」に爆破する様子を撮影し、その廃墟にイスラエルの国旗を立て入植することを求めるなどし、これはパレスチナ人の生活の基礎を消滅させる行為だとして、ジェノサイド条約第2条(c)の、「全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること」に該当すると南アフリカは主張した[22]。また、そういった街の破壊が、法廷が仮保全措置の要求を迅速に審議すべき危急性の理由としてあげられた[23]

更には、国の指導者たちが、聖典聖絶の話を今回の戦闘と重ね合わせるジェノサイト的発言を公に繰り返し、イスラエル兵が指導者たちの発言を復唱するかのようにガザ地区のインフラの破壊を実行していることや[24] 、パレスチナ人の生活の基盤とインフラを破壊していることを完全に理解していながらも破壊を続けていることは[25]、ジェノサイドの意図を表していると主張し、仮保全措置で人命保護に加えて、パレスチナ人の生活を保護することも法廷に訴えた[26]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 英文の定義では、物理的な建物であるハウス (house) ではなく、人々の心のよりどころであり、家族が募い、思い出が詰まるなどの無形的価値が加わったニュアンスがあるホーム (home) という単語を使用している。【後述】
  2. ^ 接尾辞の-cideの語源であるカエドは、殴打する、攻撃する、殺害する、切り倒すなどの意味を持つ[2]。それらの行為は自然に起きるのではなく、その行為を行う行為者がいることを暗示する表現。その行為を受ける対象は人間や動物などの生物や、有形物である必要はない。例として、decide(決心する、de〈off、オフの意味 〉+ -cide)では、その他の選択肢を「切り落として」て、最終選択肢を選ぶことを意味する[3]
  3. ^ 外国の政府、占領国、占領組織、被害者が所属していない組織など。
  4. ^ この(ローマ規程第7条)規程の適用上、「人道に対する犯罪」 とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。
    1. 殺人
    2. 絶滅させる行為
    3. 奴隷化
    4. 住民の追放又は強制移送
    5. 国際法の基本的な規則に違反する拘禁その他の身体的な自由の著しいはく奪
    6. 拷問
    7. 強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力
    8. 政治的、人種的、国民的、民族的、文化的又は宗教的な理由、性に係る理由その他国際法の下で許容されないことが普遍的に認められている理由に基づく特定の集団又は共同体に対する迫害
    9. 人の強制失踪
    10. アパルトヘイト犯罪

    その他の同様の性質を有する非人道的な行為であって、身体又は心身の健康に対して故意に重い苦痛を与え、又は重大な傷害を加えるもの.

出典[編集]

  1. ^ a b c d Porteous 2001, p. 12.
  2. ^ CAEDO | Dickinson College Commentaries”. dcc.dickinson.edu. 2024年5月8日閲覧。
  3. ^ decide” (英語). Dictionary.com | Meanings & Definitions of English Words. Dictionary.com. 2024年5月8日閲覧。
  4. ^ a b Porteous 2001, p. 11-12.
  5. ^ a b c Syria: Could making 'domicide' a war crime bring justice? – DW –” (英語). dw.com (2024-2-31). 2024年5月4日閲覧。
  6. ^ Swanson, Kelly (2009) (英語). AP Human Geography 2009. Kaplan. p. 153. ISBN 978-1427798152 
  7. ^ Topocide”. UIA. 2024年5月5日閲覧。
  8. ^ a b Rajagopal, Balakrishnan (2024年1月29日). “Opinion | Domicide: The Mass Destruction of Homes Should Be a Crime Against Humanity” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/interactive/2024/01/29/opinion/destruction-of-homes-crime-domicide.html 2024年1月29日閲覧。 
  9. ^ Porteous 2001, p. 11.
  10. ^ *Zhang (2017). Katherine Brickell; et al; Palgrave Macmillan. ed. Geographies of Forced Eviction: Dispossession, Violence, Resistance. p. 98. "'It Felt Like You Were at War’: State of Exception and Wounded Life in the Shanghai Expo-Induced Domicide" and "Inspired by Katherine Boo (2012, p. 251) who contends that "better arguments, maybe even better policies, get formulated only when we know more about ordinary lives", I draw on the displacees’ testimonials collected from formal and informal settings and examine their intense, layered and complex experiences of losing homes and communities, or domicide." 
  11. ^ *Brickell (2012). “Geopolitics of Home”. Geography Compass. p. 577. https://doi.org/10.1111/j.1749-8198.2012.00511.x. "The work of Porteous and Smith (2001, 64) is central here to understanding what is coined "domicide", the deliberate destruction of home, which in its "extreme" form involves "major, planned operations that occur rather sporadically in time but often affect large areas and change the lives of considerable numbers of people"." 
  12. ^ a b “Amid Israeli Destruction in Gaza, a New Crime Against Humanity Emerges: Domicide” (英語). Haaretz. (2024年1月4日). https://www.haaretz.com/israel-news/2024-01-04/ty-article-magazine/.highlight/amid-israeli-destruction-in-gaza-a-new-crime-against-humanity-emerges-domicide/0000018c-d585-d751-ad8d-ffa5965e0000 2024年1月5日閲覧。 
  13. ^ a b Report of the Special Rapporteur on adequate housing as a component of the right to an adequate standard of living, and on the right to non-discrimination in this context, Balakrishnan Rajagopal (A/77/190) [EN/AR/RU/ZH - World | ReliefWeb]” (英語). reliefweb.int (2022年10月28日). 2024年1月5日閲覧。
  14. ^ “Domicide” must be recognised as an international crime: UN expert” (英語). Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights (2022年10月28日). 2024年5月4日閲覧。
  15. ^ a b c d 水野哲也 (2024年3月3日). “[ワールドビュー]戦闘、罪深き「ドミサイド」…アジア総局長 水野哲也”. 読売新聞オンライン. 2024年5月8日閲覧。
  16. ^ Collins, Andrew E (2009) (英語). Disaster and Development. Routledge. p. 109. ISBN 9780203879238. https://books.google.com/books?id=BDfqfikFDmsC&q=topocide&pg=PA109 
  17. ^ a b (天声人語)「ドミサイド」と戦争:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2024年2月5日). 2024年5月4日閲覧。
  18. ^ Wintour, Patrick (2023年12月7日). “Widespread destruction in Gaza puts concept of ‘domicide’ in focus” (英語). ガーディアン紙. 2024年1月1日閲覧。
  19. ^ 「ガザ復旧まで最低16年」国連が試算 侵攻で“前例ない破壊””. テレ朝news. テレビ朝日 (2024年5月3日). 2024年5月5日閲覧。
  20. ^ a b Patrick Wintour (2023年12月7日). “Widespread destruction in Gaza puts concept of "domicide" in focus”. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/world/2023/dec/07/widespread-destruction-in-gaza-puts-concept-of-domicide-in-focus. "Domicide, a concept increasingly accepted in academia, is not a distinct crime against humanity under international law, and the UN special rapporteur on the right to housing tabled a report to the UN in October last year arguing that “a very important protection gap” needed to be filled." 
  21. ^ 南アフリカ、イスラエルが「ジェノサイド行為」と国際司法裁に訴え」『BBCニュース』、2024年12月30日。2024年5月5日閲覧。
  22. ^ 南アフリカ共和国 2024, p. 26-27.
  23. ^ 南アフリカ共和国 2024, p. 22.
  24. ^ 南アフリカ共和国 2024, p. 33.
  25. ^ 南アフリカ共和国 2024, p. 40.
  26. ^ 南アフリカ共和国 2024, p. 84.

参考文献[編集]

関連項目[編集]