負け越し
負け越し(まけこし)とは、主にスポーツで負けの数が勝ちの数よりも多くなることである。
大相撲[編集]
2023年現在、日本相撲協会に所属する十両以上の力士(関取)は本場所で1場所15番の割が組まれる関係上、7勝以下であれば負け越しであり、8勝以上が勝ち越しである。8敗した時点で勝ち数は最大で7勝に留まり、負け数が勝ち数を上回ることが確定するが、この状況が負け越しと定義される。
負け越した場所では、持ち給金(褒賞金)は据え置かれ負け越し分が減額されることはない。勝ち星から負け数を引いた数値を数えて〈負け越し○点〉というように表記される。たとえば6勝9敗なら負け越し3点である。休場があったときには番付編成上は負けと同じ扱いをするが〈負け越し何点〉という言い方はされない。
大関・横綱以外の力士が負け越せば、原則として負け越し点数だけ下の地位に転落するが、その地位の周辺に顕著な成績を挙げた力士がいない場合、半枚の降下(東方から西方への変動)や先場所と同地位に据え置かれることもある。
実例を挙げると、1979年5月場所の栃赤城・1983年7月場所の出羽の花・1997年11月場所の栃東・2012年7月場所及び2013年5月場所の豪栄道がそれぞれ東関脇の地位で7勝8敗(2012年7月場所の豪栄道は7勝7敗1休)と負け越したにもかかわらず、いずれも翌場所は西関脇に移動したのみで、小結の地位への陥落を免れた。同様の例として1984年3月場所の出羽の花・1996年9月場所の武双山・2004年7月場所の琴光喜・2015年11月場所の栃ノ心・2019年3月場所の御嶽海がそれぞれ東小結の地位で7勝8敗と負け越したにもかかわらず、いずれも翌場所は西小結の地位に移動したのみで平幕への陥落を免れた。
さらに白露山は2006年11月場所、西前頭14枚目で7勝8敗と負け越したものの翌場所は同地位に据え置かれ、しかも小結が前場所の4人から2人となったことに伴い前頭が15枚から16枚となったため事実上番付を1枚上昇させた。
大関は1場所負け越すと角番になり、2場所連続で負け越すと関脇に陥落する(1958年から1967年7月場所までは3場所連続負け越しで陥落となっていた)。但し、特例として、大関から関脇に陥落した直後の場所で10勝以上の勝ち星を挙げれば、翌場所直ちに大関に復帰できる(9勝以下の勝ち星に終わった場合は、新大関同様に三役(関脇・小結)の地位で3場所合計33勝以上挙げる事が大関再昇進の目安となる)。
横綱はいくら負け越しても(休場しても)降格することはないが、立場上負けが続くことは許されず現役引退を覚悟しなければならないとされる。
幕下以下は1場所7番の割が組まれる関係上、3勝以下が負け越しとされる。基本的に幕下では負け越し1点につき5~10枚程度、三段目では15~20枚程度の番付降下となる。序二段以下では、その場所ごとの力士数によって変化するので、特に序ノ口では負け越しても番付が上昇することもある。
現在の部屋別総当たり制(厳密にはそれ以前の系統別総当たり制)になる前の東西制の時代には、それぞれの片屋ごとに番付の上下を決めていたので、極端な場合、負け越しても番付が上がることがあった(大砲万右エ門の項目参照)。
十両でも翌場所の番付の追加や番付削減の影響を受けて、負け越したのに番付が上がったというケース(2004年1月場所の武州山・中尾)や、勝ち越したのに番付が下がったというケース(1967年5月場所の前田川など)も過去には存在した。
全敗[編集]
取組の多い幕内や、十両では非常に稀ではあるが1場所15戦全敗を喫する力士が出ることがある。幕内では特に珍しく15戦全勝と比べても非常に少ない。番付最上位の幕内では各力士の力量が拮抗し、極端な星の偏りが生じないこと、そもそも幕内で連敗する理由に負傷や健康状態の悪化が多く見られ、そのような場合は皆勤せずに途中休場し治療・療養に専念するケースが大半だからである。
15戦全敗を経験した力士[編集]
幕内
1場所15日制導入以降、15戦全敗を喫した力士は幕内では桂川、清勢川、佐田の海、板井、照強の5人。桂川と板井は全敗の翌場所、佐田の海は翌々場所で引退した。清勢川(全敗の翌場所から清乃森、のち清の盛)はその後、20場所十両で現役を続けたが、幕内には返り咲けなかった。照強は2022年11月場所で1991年7月場所の板井以来、31年ぶりの15戦全敗という不名誉な記録を作り[1]、翌2023年1月場所を最後に十両からも陥落して以降、関取にも返り咲けなかった[2]。
これとは別に1950年1月場所の五ツ海と2002年7月場所の旭鷲山が1勝14敗で1勝は不戦勝によるもの、つまり皆勤して自力勝利がないという記録を残した。
豊真将も東前頭筆頭で迎えた2009年5月場所に初日から14連敗して18年ぶりの全敗の危機となったが、千秋楽に嘉風を下して事無きを得た。大道も東前頭11枚目で迎えた2013年7月場所に初日から14連敗したが、千秋楽に富士東を下して事無きを得た。その豊真将は2014年3月場所に西十両2枚目で初日から14連勝したが、千秋楽に敗れるという逆の記録も残し、奇しくも千秋楽に豊真将を倒したのは大道であった。富士東も、後述の通り自ら15戦全敗を記録した。
場所 | 地位 | 四股名 | 翌場所地位 | 翌場所成績 |
---|---|---|---|---|
1942年1月場所 | 東前頭17枚目 | 桂川質郎 | 西十両2枚目 | 全休(引退) |
1963年11月場所 | 西前頭11枚目 | 清勢川政夫 | 東十両6枚目 | 5勝10敗 |
1988年3月場所 | 西前頭10枚目 | 佐田の海鴻嗣 | 西十両6枚目 | 6勝9敗 |
1991年7月場所 | 東前頭14枚目 | 板井圭介 | 東十両9枚目 | 1勝2敗1休(廃業) |
2022年11月場所 | 東前頭16枚目 | 照強翔輝 | 西十両10枚目 | 5勝10敗 |
十両
場所 | 地位 | 四股名 | 翌場所地位 | 翌場所成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1960年11月場所 | 東十両4枚目 | 双ツ龍徳義 | 東十両14枚目 | 全休(引退) | |
1988年1月場所 | 東十両13枚目 | 清王洋好造 | 西幕下15枚目 | 2勝5敗 | |
1989年5月場所 | 東十両5枚目 | 鳳凰倶往 | 西幕下6枚目 | 3勝4敗 | |
2000年7月場所 | 東十両8枚目 | 星誕期偉真智 | 東幕下8枚目 | 6勝1敗 | |
2005年11月場所 | 東十両14枚目 | 燁司大※ | 引退 | ||
2020年9月場所 | 東十両13枚目 | 王輝嘉助 | 東幕下13枚目 | 1勝6敗 | 新十両場所 |
2020年11月場所 | 東十両14枚目 | 富士東和佳 | 東幕下13枚目 | 1勝6敗 |
このうち、燁司の15敗目は不戦敗であった。14日目の相撲を取り終えて引退届を提出した。千秋楽の対戦相手は幕下で7戦全敗を喫していて八番相撲を組まれた玉光国だった。双ツ龍が全敗の翌場所十両に名前を残しながら全休・引退したのを除いて、現役力士以外では全敗場所が最後の関取在位だった。2006年9月場所では西十両5枚目の武雄山が初日から14連敗を喫したが、千秋楽に出羽鳳を下して事無きを得た。2020年9月場所には王輝が新十両の場所で15戦全敗を喫したが、これは1場所15日制になってから大相撲史上初の記録となった[3]。さらに翌11月場所で富士東も15戦全敗を喫したため、2場所連続で15戦全敗力士が出るという珍事が起きた。
15日制以前の皆勤全敗[編集]
1場所15日となる前(1939年1月以前、1944年5月~1949年1月も含む)にも全敗の記録は存在する。
- 1919年5月場所で新三役(関脇)の藤ノ川雷五郎が10戦全敗。以後三役に返り咲くことは無かった。
- 1926年5月場所で新入幕の稲ノ森勉が11戦全敗。翌場所に十両に陥落し、以後幕内に返り咲くことは無かった。
- 1930年3月場所で大蛇山酉之助が11戦全敗。幕内優勝経験者では初となった。
- 大関鏡岩が小結に在位した1934年5月場所で11戦全敗を記録した。幕内全敗経験後に大関まで昇進(1936年5月場所後)した非常に珍しい例である。
- 灘ノ花が春秋園事件から復帰し幕内格別席にあった1933年1月場所で11戦全敗を記録した。その2年後の1935年1月場所では十両で11戦全敗を記録した(この場所限りで引退。)。幕内・十両の両方で皆勤全敗を経験した珍しいケースである。
- 横綱玉錦が現役死した直後の1939年1月場所には、玉錦の土俵入りで露払いを務めた土州山と太刀持ちを務めた海光山がともに全敗(当時13日制)して引退した。
- 出羽湊利吉も1944年5月場所で10戦全敗を記録したがそれより前の1939年1月場所では全勝優勝(当時13日制)しており、2023年現在、幕内で皆勤全勝・全敗の両方を経験した唯一の力士である。
- 神東山は十両に落ちた1946年11月場所、13戦全敗を記録した(翌場所引退)。
- 1947年11月場所で名寄岩が歴代大関でただ1人在位中に全敗(当時11日制)を記録(翌場所関脇に陥落。)した。
幕下以下の全敗[編集]
幕下以下の取組は原則として相星の力士同士が対戦する(いわゆる、スイス式トーナメント)為、128名中1名の力士が必然的に全敗となり得る。尚、2021年5月場所終了現在、全敗場所数のワースト1位(30場所)及び連続全敗場所数のワースト1位(14場所)はいずれも勝南桜聡太が記録している。
- 幕内昇進前の全敗
以下の力士が幕下以下全敗を経験した後に幕内に昇進した(四股名は当時のもの)。
- 綾鬼 - 1915年6月場所に東序ノ口10枚目で5戦全敗。
- 大ノ島 - 1945年11月場所に西序二段12枚目で5戦全敗。島錦と改名した後、1947年11月場所に東三段目20枚目で6戦全敗。下位で2度の全敗を経験して入幕を果たしたのは、島錦・琴稲妻・安芸乃州(今田)の3人のみである。
- 朝響 - 1959年11月場所に東序二段148枚目の地位で8戦全敗。
- 栃東 - 1964年3月場所に東幕下17枚目の地位で全敗を記録した。後に幕内最高優勝を果たし、史上初の幕下以下で全敗の経験を持つ優勝力士となった。下位で全敗を経験して幕内最高優勝を果たしたのは、栃東・北の湖・多賀竜(黒谷)の3人のみである。
- 北の湖 - 1968年1月場所に序二段で全勝(優勝同点)、しかし新三段目(西三段目20枚目)で迎えた翌3月場所は全敗した。歴代横綱唯一の全敗経験者である。
- 尾堀 - 1971年9月場所に西幕下6枚目の地位で全敗を記録した。
- 黒谷 - 1976年11月場所に西幕下38枚目の地位で全敗を記録した。
- 港龍 - 1978年5月場所に西三段目60枚目の地位で全敗を記録した。
- 琴稲妻 - 1979年11月場所に東幕下60枚目、1981年9月場所に東幕下25枚目でそれぞれ全敗した。
- 下村 ‐ 1982年7月場所に東序二段24枚目の地位で全敗を記録した。
- 寺木 - 初めて番付についた1985年5月場所に東序ノ口25枚目の地位で全敗を記録した。幕下以下の1場所7番制が定着した1960年7月場所以降、序ノ口(しかも初めて番付についた場所)で全敗を経験して、その後に入幕を果たした唯一の例である。
- 今田 - 1986年7月場所に東三段目71枚目の地位で、1991年3月場所に東幕下42枚目の地位で、それぞれ全敗を記録した。
- 琴龍 - 1993年5月場所に西幕下8枚目の地位で全敗を記録した。
- 北勝力 - 1995年3月場所に東序二段19枚目の地位で全敗を記録した。
- 片山 - 2003年5月場所に東幕下29枚目の地位で全敗を記録した。
- 千代白鵬 - 2003年7月場所に西幕下12枚目の地位で全敗を記録した。
- 武蔵龍 - 2004年5月場所に東幕下24枚目の地位で全敗を記録した。
- 虎太郎 - 2015年7月場所に西幕下45枚目の地位で全敗を記録した。
- 幕内経験者の幕下陥落後の全敗
以下の力士が幕内在位経験後に幕下以下で全敗を記録した。
- 小戸ヶ岩 - 1945年6月場所に東幕下5枚目で5戦全敗、1948年5月場所に東幕下9枚目で6戦全敗を記録し、2回目の全敗を記録した場所限りで廃業した。
- 斜里錦 - 1948年10月場所に西幕下16枚目で6戦全敗を記録し、翌場所以降2場所連続で休場し、復帰することなく廃業した。
- 大江戸 - 1954年1月場所に東幕下17枚目で8戦全敗を記録し、同場所限りで引退した。
- 愛宕山 - 1960年11月場所に西幕下7枚目で全敗を記録した。
- 大觥 - 1980年11月場所に西幕下11枚目で全敗を記録し、同場所限りで廃業した。
- 牧本 - 1982年1月場所に西幕下27枚目で全敗を記録した。
- 大刀光 - 1994年1月場所に西幕下29枚目で全敗を記録し、同場所限りで廃業した。
- 玉海力 - 1995年3月場所に西幕下6枚目で全敗を記録した。
- 旭豪山 - 1996年5月場所に東幕下28枚目で全敗を記録した。
- 立洸 - 1999年1月場所に東幕下24枚目で全敗を記録した。
- 垣添 - 2012年3月場所に西幕下22枚目の地位で全敗を記録し、同場所限り(番付上は翌2012年5月場所まで)で引退した。三役経験者が幕下以下で全敗したのは史上初であった。
- 大喜鵬 - 2014年9月場所に西幕下45枚目の地位で全敗を記録した。その後2016年11月場所に十両復帰を果たす。幕内在位後に幕下以下で全敗を記録し、その後に再度関取に復帰したのは史上初であった。
- 芳東 - 2024年3月場所に東三段目78枚目で全敗を記録した。
- 八番相撲を取っての8戦全敗
幕下以下7番取組制導入後、一番相撲からの7連敗後、八番相撲でも敗れて8戦全敗(0勝8敗)を記録したケースは次の通り。
- 幕下
- 前例なし
- 序ノ口
- (参考)八番相撲での白星を含む1勝7敗
「全敗」には当たらないが、一番相撲から7連敗しているのには違いないため、参考として示す。この場合、番付編成上の扱いは「負け越し6点」、すなわち1勝6敗と7戦全敗の中間の評価となる。
- 幕下
- 序ノ口
- 大村(二所ノ関部屋) - 1974年5月場所(東21枚目)
創作[編集]
佐野山(あるいは谷風の人情相撲)
- 落語。関取が「勝ったり負けたり」と答えたが、本当は全敗で「相手が勝ったり、自分が負けたり」という意味。翌場所は「全日土つかず」と答えたが、本当は全休だったという意味。
その他のスポーツ[編集]
プロ野球の試合では「借金いくつ」で呼ばれることが多い。また同一カード内の連戦、あるいは長期ロード等で負けが上回った場合(3連戦の1勝2敗など)を負け越しと呼ぶ。
出典[編集]
- ^ 照強が15戦全敗、31年ぶり5人目 大相撲九州場所 - 毎日新聞 2022年11月27日
- ^ 「元幕内の照強が引退 豪快塩まきで土俵沸かせた小兵力士、現在は幕下」『日刊スポーツ』、2024年3月18日。2024年3月18日閲覧。
- ^ 新十両0勝15敗の王輝ぼうぜん、史上初の屈辱 - 日刊スポーツ 2020年9月27日