1961年の相撲
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1961年の相撲(1961ねんのすもう)は、1961年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア相撲
[編集]- 全日本相撲選手権大会で平聖一が二度目の連覇を果たす。平は通算4度優勝(1955年・1956年・1960年・1961年)。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月、初場所、蔵前国技館で15日間。NHKがカラー中継開始。年寄、若者頭の定年制が発足し、立田川(元21代庄之助)、立田山(元能代潟)らが角界を去る。呼出の太郎は出羽海部屋に、小鉄は伊勢ヶ濱部屋に雇いとなって残る。初場所優勝の柏戸がエールフランスの招待で渡欧。
- 3月、春場所、大阪府立体育会館で15日間。学生横綱の東京農業大学内田が時津風部屋に入門し、幕下付出で初土俵。各段の優勝賞金をそれぞれ増額。
- 5月、夏場所、蔵前国技館で15日間。控え力士座布団は各個人用のをやめる。8日目に昭和天皇、皇后の観戦。場所後の番付編成会議で北葉山の大関昇進決定。デビッド・ジョーンズがパンアメリカン航空賞贈呈の担当者となる。
- 7月、名古屋場所、金井体育館で15日間。北葉山が新大関となり、5大関となる。
- 9月、秋場所、蔵前国技館で15日間。場所後、大鵬と柏戸を同時に横綱推挙決定。大鵬21歳3ヶ月、柏戸22歳9ヶ月。
- 10月、大阪準本場所15日間、大鵬優勝。
- 11月、大鵬と柏戸が新横綱となり、4横綱となったが、張出とせず4人が正横綱。九州場所、福岡スポーツセンターで15日間。十両で内田が全勝優勝。元大関松登引退、振分襲名。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館、8~22日)
- 幕内最高優勝 : 柏戸剛(13勝2敗,1回目)
- 殊勲賞-房錦、敢闘賞-富士錦、技能賞-鶴ヶ嶺
- 十両優勝 : 芳野嶺元志(11勝4敗)
- 三月場所(大阪府立体育会館 12~26日)
- 幕内最高優勝 : 朝潮太郎(13勝2敗,5回目)
- 殊勲賞-栃光、敢闘賞-前田川、技能賞-房錦
- 十両優勝 : 高錦照雄(12勝3敗)
- 五月場所(蔵前国技館、7~21日)
- 幕内最高優勝 : 佐田の山晋松(12勝3敗,1回目)
- 殊勲賞-北葉山、敢闘賞-佐田の山、技能賞-栃ノ海
- 十両優勝 : 清ノ森政夫(12勝3敗)
- 七月場所(金山体育館、6月25~7月9日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(13勝2敗、2回目)
- 殊勲賞-佐田の山、敢闘賞-栃光、技能賞-栃ノ海
- 十両優勝 : 若秩父高明(13勝2敗)
- 九月場所(蔵前国技館、10~24日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(12勝3敗,3回目)
- 殊勲賞-出羽錦、敢闘賞-明武谷
- 十両優勝 : 大塚範(12勝3敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター、12~26日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(13勝2敗,4回目)
- 殊勲賞-開隆山、敢闘賞-若三杉、技能賞-栃ノ海
- 十両優勝 : 内田勝男(15戦全勝)
誕生
[編集]- 1月24日 - 維新力浩司(最高位:十両筆頭、所属:大鳴戸部屋)
- 3月1日 - 隆三杉太一(最高位:小結、所属:二子山部屋、年寄:常盤山)[1]
- 3月20日 - 伊予櫻政行(最高位:十両11枚目、所属:高砂部屋、若者頭:伊予櫻)[2]
- 4月17日 - 前乃臻康夫(最高位:小結、所属:高田川部屋)[3]
- 5月8日 - 玉麒麟安正(最高位:十両6枚目、所属:押尾川部屋)
- 6月1日 - 琴白山俊也(最高位:十両4枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)
- 6月4日 - 福ノ里邦男(最高位:十両13枚目、所属:立田川部屋、若者頭:福ノ里)[4]
- 6月4日 - 清美岳太(最高位:十両13枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋)
- 6月12日 - 龍授山正男(最高位:十両8枚目、所属:高砂部屋)
- 6月18日 - 逆鉾昭廣(最高位:関脇、所属:井筒部屋、+ 2019年【令和元年】)[5]
- 6月27日 - 益荒雄広生(最高位:関脇、所属:押尾川部屋)[3]
- 7月9日 - 騏乃嵐和稔(最高位:前頭2枚目、所属:押尾川部屋)[6]
- 8月25日 - 天凰山豊(最高位:十両13枚目、所属:春日山部屋、+ 2017年【平成29年】[7])
- 9月12日 - 港龍安啓(最高位:前頭4枚目、所属:宮城野部屋)[8]
- 10月2日 - 大石田謙治(最高位:十両13枚目、所属:大鵬部屋)
- 10月12日 - 床弓(元・一等床山、所属:高砂部屋)
- 10月30日 - 42代式守伊之助(立行司、所属:九重部屋)[9]
- 11月8日 - 卓越山吾郎(最高位:十両5枚目、所属:高田川部屋)
- 11月27日 - 佐賀昇博(最高位:前頭14枚目、所属:押尾川部屋)[10]
死去
[編集]- 3月4日 - 和歌嶌(最高位:小結、所属:出羽海部屋、年寄:関ノ戸、* 1906年【明治39年】)[11]
- 3月26日 - 宮城山正見(最高位:小結、所属:井筒部屋、* 1889年【明治22年】)[12]
- 4月30日 - 2代朝潮太郎(最高位:大関、所属:高砂部屋→佐ノ山部屋→高砂部屋、* 1879年【明治12年】)[13]
- 6月28日 - 藤錦千代吉(最高位:前頭18枚目、所属:二所ノ関部屋、* 1920年【大正9年】)[14]
出典
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 203頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、27頁。
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 213頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、46頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 207頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 205頁
- ^ 「相撲部屋聞き書き帖」『相撲』2024年6月号、ベースボール・マガジン社、85頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 214頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、20頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 219頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 68頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 38頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 12頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 119頁
参考文献
[編集]- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p55