1921年の相撲
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1921年の相撲(1921ねんのすもう)は、1921年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]- 日本大学相撲部創部。
本場所など
[編集]- 1月場所(大阪相撲)[1]
- 興行場所:新世界国技館
- 1月11日より10日間興行
- 1月場所(東京相撲)[2]
- 3月場所(東京大阪合併相撲)[1]
- 興行場所:新世界国技館
- 3月4日より10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[3]
- 6月場所(大阪相撲)[4]
- 興行場所:新世界国技館
- 6月4日より10日間興行
その他相撲披露
[編集]誕生
[編集]- 1月11日 - 宇佐ノ山英策(最高位:十両9枚目、所属:立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋、+ 没年不明)
- 1月15日 - 九州海清(最高位:十両8枚目、所属:出羽海部屋)
- 2月1日 - 九州錦正男(最高位:前頭2枚目、所属:宮城野部屋、+ 1972年【昭和47年】)[5]
- 3月4日 - 甲斐ノ山福人(最高位:前頭10枚目、所属:錦島部屋)[6]
- 3月12日 - 竹旺山友久(最高位:前頭16枚目、所属:山分部屋、+ 1977年【昭和52年】)[7]
- 5月5日 - 大達信太郎(最高位:十両8枚目、所属:高砂部屋、+ 1981年【昭和56年】)
- 5月30日 - 小坂川健三郎(最高位:前頭17枚目、所属:春日山部屋→立浪部屋)[8]
- 8月7日 - 二瀬山勝語(最高位:前頭2枚目、所属:朝日山部屋、+ 1975年【昭和50年】)[9]
- 10月19日 - 神風正一(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋、+ 1990年【平成2年】)[10]
- 10月28日 - 東富士欽壹(第40代横綱、所属:富士ヶ根部屋→高砂部屋、+ 1973年【昭和48年】)[11]
- 12月10日 - 平ノ戸千代蔵(最高位:前頭17枚目、所属:出羽海部屋)[12]
死去
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 酒井, p. 332.
- ^ 酒井, pp. 328–332.
- ^ 酒井, pp. 333–336.
- ^ a b c 酒井, p. 336.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 109頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 128頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 118頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 123頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 120頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 101頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 104頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 130頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。