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1918年のメジャーリーグベースボール

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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1918年のできごとを記す。

1918年4月15日に開幕し、シーズン途中に第一次大戦のためペナントレースを9月1日に中断し、その時点の首位チームを優勝としてワールドシリーズを9月初旬に開催して9月11日に全日程を終えた。

9月1日時点で首位であったナショナルリーグシカゴ・カブスアメリカンリーグボストン・レッドソックスがリーグ優勝した。シカゴ・カブスは8年ぶり11度目、ボストン・レッドソックスは2年ぶり6度目の優勝となった。

ワールドシリーズはボストン・レッドソックスがシカゴ・カブスを4勝2敗で制し、5度目のシリーズ制覇を果たした。

1917年のメジャーリーグベースボール - 1918年のメジャーリーグベースボール - 1919年のメジャーリーグベースボール

できごと

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第一次大戦の影響

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1914年8月に始まった第一次世界大戦にアメリカは参戦していなかったが、1917年4月にウイルソン大統領は参戦を決意しドイツに宣戦布告した。1917年はメジャーリーグでも数人が志願して兵役についたが、野球開催に関しての影響は少なかった。しかし1918年に入ると戦局が急を告げて、選手たちがぞくぞくと召集を受け、一般国民の戦意の高揚とともに野球に対する関心が衰え始め、野球界にとって冬の時代であった。この年に曲がりなりにも試合を消化できたのはメジャーリーグとマイナーのインターナショナルリーグだけで、他のマイナーリーグは選手の不足と経営の不振で崩壊状態であった。

そのためアメリカン・リーグのバン・ジョンソン会長は危機感を持ち、ワールドシリーズの中止を検討するが他の球団オーナーが反対する事態となった。そして軍の要請(仕事か戦闘かを迫るものであった)を受け入れて、8月2日にレギュラーシーズンを9月1日で打ち切りとすることを決め、この結果合計226試合が中止となった。しかしペナントレースは中断されたがワールドシリーズは特別措置として開催が認められて、9月5日から行われた。

アメリカン・リーグのレッドソックスは、ベーブ・ルースが投手で20試合に登板して13勝7敗の成績を収め、そして外野手として59試合、一塁手として13試合出場し、打率.300・本塁打11本・打点66を打って本塁打王となり、そのバッティングに注目が集まって、レッドソックスの投打の中心となり、他にもカール・メイズ(21勝)がいた。

一方ナショナル・リーグのシカゴ・カブスも強力な投手陣がいてヒッポ・ボーン(22勝)、レフティー・タイラー(19勝)、クロード・ヘンドリックス(19勝)らが活躍した。

そしてワールドシリーズでは、ベーブ・ルースが2勝、カール・メイズも2勝してレッドソックスがシリーズを制した。

  • シカゴ・カブスのヒッポ・ボーン投手はこの年にピート・アレクサンダーがカブスに移籍してきたが、第一次世界大戦に派兵されたため、ボーンとタイラーとヘンドリックスでカブスの投手陣を支えた。そしてこの年ボーンはナショナルリーグの最多勝22勝・最優秀防御率1.74・最多奪三振148で投手三冠を達成する最高のシーズンとなった。彼は翌1919年も最多奪三振を記録した。
  • ブルックリン・ロビンスザック・ウィートは、この年に打率.335で首位打者となった。タイトルはこの年の首位打者だけだったが、1909年から1926年までブルックリン・ロビンス(後のドジャース)に、1927年はコニー・マックのアスレチックスに1年在籍して引退した。外野手として評価が高く、後にブランチ・リッキーがブルックリン史上最高の外野手と述べ、長い間ロビンスで人気があった選手である。ライン・ドライブをよく打ち、カーブ打ちの名人で、ジャイアンツのジョン・マグロー監督が「ポログラウンドでは絶対に彼にカーブを投げるな」と投手陣に厳命したほどであった。生涯通算打率.317で1959年に殿堂入りした。
  • フィラデルフィア・フィリーズはピート・アレクサンダーの徴兵を恐れて前年末にアレクサンダーをカブスに金銭トレードで放出した。このフィリーズの予想通り彼は1918年のシーズンに入ってすぐに徴兵され、第一次世界大戦フランス戦線に出征した。この年は結局3試合に登板しただけであった。フィリーズには1930年に戻ってきたが1勝も挙げられなかった。

レッドソックスとヤンキース  

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ボストン・レッドソックスはこの年に新しい監督エド・バローを迎えて通算5度目のシリーズ制覇であった。しかし1920年に当時のレッドソックスのオーナーだったハリー・フレイジーは、財政難からチームの看板選手だったベーブ・ルースをヤンキースに放出、バローも1920年限りで監督をやめ、ヤンキースのゼネラルマネージャーをつとめることになる。そして1903年から1918年までの15年間で5回シリーズ制覇したレッドソクッスの6度目のシリーズ制覇はそれから86年後の2004年になった。

その間にニューヨーク・ヤンキースは1923年から通算27回のシリーズ制覇を成し遂げることになるが、この1918年時点ではシリーズどころかリーグ優勝も無い弱小球団であった。第一次大戦が終結したこの年でボストン・レッドソックスはアメリカンリーグ最多の6回リーグ優勝し、ナショナルリーグではシカゴ・カブスが最多の11回、ニューヨーク・ジャイアンツが8回リーグ優勝していた。やがて32年後の1950年にヤンキースはカブスの優勝回数(1950年時点で16回)を超えて17回のリーグ優勝からさらに20世紀後半に優勝回数を伸ばしていく。

そのニューヨーク・ヤンキースは、1913年にハイランダースからヤンキースに名称を変え、この1918年に新監督を迎えてリーグ4位であった。1915年にオーナーとなったジェイコブ・ルパートが1913年からカージナルスの選手兼監督を務めていたミラー・ハギンスを招いての最初のシーズンであった。この年は4位、翌1919年は3位、1920年も3位とそれまでBクラスであったチームは確実に上昇機運であった。そしてレッドソックス監督であったエド・バローをゼネラルマネージャーに就任させてからヤンキースの黄金時代が始まった。ミラー・ハギンスも1929年のシーズン途中で急逝するまでにリーグ優勝6回、シリーズ制覇3回の実績を残した。

記録

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  • ワールドシリーズでベーブ・ルース投手がクリスティ・マシューソンの記録を破る29回2/3イニングスのワールドシリーズ無失点記録を樹立した。

最終成績

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レギュラーシーズン

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アメリカンリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ボストン・レッドソックス 75 51 .595 --
2 クリーブランド・インディアンス 73 54 .575 2.5
3 ワシントン・セネタース 72 56 .563 4.0
4 ニューヨーク・ヤンキース 60 63 .488 13.5
5 セントルイス・ブラウンズ 58 64 .475 15.0
6 シカゴ・ホワイトソックス 57 67 .460 17.0
7 デトロイト・タイガース 55 71 .437 20.0
8 フィラデルフィア・アスレチックス 52 76 .406 24.0

ナショナルリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 シカゴ・カブス 84 45 .651 --
2 ニューヨーク・ジャイアンツ 71 53 .573 10.5
3 シンシナティ・レッズ 68 60 .531 15.5
4 ピッツバーグ・パイレーツ 65 60 .520 17.0
5 ブルックリン・ロビンス 57 69 .452 25.5
6 フィラデルフィア・フィリーズ 55 68 .447 26.0
7 ボストン・ブレーブス 53 71 .427 28.5
8 セントルイス・カージナルス 51 78 .395 33.0

ワールドシリーズ

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  • カブス 2 - 4 レッドソックス
9/ 5 – レッドソックス 1 - 0 カブス
9/ 6 – レッドソックス 1 - 3 カブス
9/ 7 – レッドソックス 2 - 1 カブス
9/ 9 – カブス 2 - 3 レッドソックス
9/10 – カブス 3 - 0 レッドソックス
9/11 – カブス 1 - 2 レッドソックス

個人タイトル

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アメリカンリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 タイ・カッブ (DET) .382
本塁打 ベーブ・ルース (BOS) 11
ティリー・ウォーカー (PHA)
打点 ボビー・ヴィーチ (DET) 78
得点 レイ・チャップマン (CLE) 84
安打 ジョージ・バーンズ (PHA) 178
盗塁 ジョージ・シスラー (SLA) 45

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ウォルター・ジョンソン (WS1) 23
敗戦 エディ・シーコット (CWS) 19
スコット・ペリー (PHA)
防御率 ウォルター・ジョンソン (WS1) 1.27
奪三振 ウォルター・ジョンソン (WS1) 162
投球回 スコット・ペリー (PHA) 332⅓
セーブ ジョージ・モグリッジ (NYY) 7

ナショナルリーグ

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打撃成績

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項目 選手 記録
打率 ザック・ウィート (BRO) .335
本塁打 ギャビー・クラバス (PHI) 8
打点 シェリー・マギー (CIN) 76
得点 ヘイニー・グロー (CIN) 86
安打 チャーリー・ホロシャー (CHC) 161
盗塁 マックス・キャリー (PIT) 58

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ヒッポ・ボーン (CHC) 22
敗戦 ルーブ・マーカード (BRO) 18
ジョー・オーチジャー (PHI)
防御率 ヒッポ・ボーン (CHC) 1.74
奪三振 ヒッポ・ボーン (CHC) 148
投球回 ヒッポ・ボーン (CHC) 290⅓
セーブ フレッド・アンダーソン (NYG) 3
ウィルバー・クーパー (PIT)
ジョー・オーチジャー (PHI)
フレッド・トニー (CIN/NYG)

出典

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  • 『アメリカ・プロ野球史』第3章 揺さぶられる大リーグ 90-91P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一書房
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1918年≫ 61P参照  週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪ザック・ホイート≫ 68P参照 
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪グローバー・アレキサンダー≫ 73P参照   
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪ミラー・ハギンス≫ 74P参照 
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000  上田龍 著 90P参照 2001年10月発行 ベースボールマガジン社

外部リンク

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