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高野裕良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高野 裕良
1955年撮影
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県
生年月日 (1924-02-24) 1924年2月24日
没年月日 (2013-01-02) 2013年1月2日(88歳没)
身長
体重
174 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 1946年
最終出場 1956年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

高野 裕良(たかの ひろよし、1924年2月24日 - 2013年1月2日)は、山口県[1]出身のプロ野球選手投手)。1946年1947年の登録名は諏訪 裕良(すわ ひろよし)。

経歴

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下関商業学校では春3回、夏2回の計5度の甲子園に出場。投手と一塁手を兼任した[1]

明治大学を経て、1946年読売巨人軍へ入団[1]川上哲治が復帰するまで一塁手を務めたほか、投手として6勝を挙げる。

1948年金星スターズに移り、1950年には新球団の大洋ホエールズへ3度目の移籍[1]。この年はスライダーを武器に主に先発投手としてリーグ4位の25勝を記録[1]。その後も、1951年11勝、1952年17勝、1953年12勝と、林直明らとともに大洋草創期の投手陣を支えた。また、1951年に大洋の選手として初めてオールスターゲームに選ばれると、翌1952年も2年連続で出場した[1]。1勝に終わった1956年限りで引退した[1]

2013年1月2日に肺炎のため死去[2]。88歳没。

選手としての特徴

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スリークォーターからの速球を武器とした。1950年5月ごろの対松竹ロビンス戦で小鶴誠が打った痛烈なゴロを右の素手で受けたところ、親指人差し指の間に裂傷を負い、人差し指も負傷した。しかし、このケガによってスライダーが投げられるようになり、同年の活躍に繋がったという[3]

人物

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好きで、同じく巨人から大洋に移籍した田中資昭と飲み始めると止まらず、二人でお銚子を40本並べていたことがあったという[3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1946 巨人 17 15 9 2 0 6 6 -- -- .500 506 117.1 108 5 57 -- 1 28 2 0 50 34 2.59 1.41
1947 19 7 3 0 2 2 5 -- -- .286 379 89.1 95 2 28 -- 3 17 1 0 42 33 3.30 1.38
1948 金星
大映
11 3 0 0 0 0 2 -- -- .000 162 36.1 43 3 12 -- 3 4 5 0 22 20 4.86 1.51
1949 10 3 1 0 0 1 1 -- -- .500 155 33.2 36 2 17 -- 0 11 0 2 21 15 3.97 1.57
1950 大洋
洋松
大洋
66 37 29 2 1 25 21 -- -- .543 1643 384.2 367 31 133 -- 15 177 0 1 184 156 3.65 1.30
1951 41 28 17 0 1 11 15 -- -- .423 1110 250.2 295 27 79 -- 10 80 3 0 146 128 4.59 1.49
1952 47 33 23 4 1 17 21 -- -- .447 1267 296.0 299 23 84 -- 9 99 1 1 140 106 3.22 1.29
1953 25 24 14 3 1 12 9 -- -- .571 845 196.2 195 19 56 -- 12 69 1 0 100 87 3.97 1.28
1954 16 12 4 0 1 3 7 -- -- .300 336 80.0 91 9 13 -- 1 24 0 0 46 43 4.84 1.30
1955 5 4 0 0 0 0 3 -- -- .000 112 25.2 20 5 10 0 1 11 1 0 17 14 4.85 1.17
1956 7 4 0 0 0 1 2 -- -- .333 98 25.0 23 3 4 0 1 12 0 0 8 8 2.88 1.08
通算:11年 264 170 100 11 7 78 92 -- -- .459 6613 1535.1 1572 129 493 0 56 532 14 4 776 644 3.77 1.34
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 金星(金星スターズ)は、1949年に大映(大映スターズ)に球団名を変更
  • 大洋(大洋ホエールズ)は、1953年に洋松(大洋松竹ロビンス)に、1955年に大洋(大洋ホエールズ)に球団名を変更

記録

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背番号

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  • 6 (1946年 - 1947年)
  • 22 (1948年)
  • 20 (1949年)
  • 16 (1950年 - 1956年)

登録名

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  • 諏訪 裕良 (すわ ひろよし、1946年 - 1947年)
  • 高野 裕良 (たかの ひろよし、1948年 - 1956年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、318ページ
  2. ^ “高野裕良氏死去=元プロ野球投手”. 時事通信. オリジナルの2013年4月26日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/HsgAY 2013年1月7日閲覧。 
  3. ^ a b 『巨人軍の男たち』102頁

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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