雷門喜助
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紋の杏葉牡丹 | |
本名 | |
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生年月日 | 1945年1月15日(79歳) |
出身地 | 日本・愛知県名古屋市 |
師匠 | 初代雷門福助 八代目雷門助六 |
名跡 | 1. 雷門福二 (1963年 - 1966年) 2. 雷門喜助 (1966年 - ) |
出囃子 | 大拍子 |
活動期間 | 1963年 - |
所属 | フリー (1963年 - 1966年) 日本芸術協会 (1966年 - ?) フリー (? - 現在) |
雷門 喜助(かみなりもん きすけ、1945年〈昭和20年〉1月15日 - )は、愛知県名古屋市出身の落語家。本名∶水野 幹雄。出囃子∶「大拍子」。岡山県赤磐市在住[1]。
来歴・人物
[編集]名古屋生まれということもあって、1963年、まずは名古屋にいた初代雷門福助に入門したが、しばらく後に八代目雷門助六門下に移り、喜助を名乗る。
前座時代からラジオ番組でレギュラーを務めるなど売れっ子となったが、その反面で落語の稽古の時間が取れなくなり、未熟なままの芸に悩むようになる。本人曰く「売れるのも速かったが、落ちるのも速かった」。数年後には、所属していた日本芸術協会(現:落語芸術協会)を飛び出してしまったため、東京での定席に上がることもできなくなり、廃業同然となってしまう。
わずかな荷物を持って東京駅へ行き、たまたま岡山行きの新幹線に乗ったことがきっかけで、以来、岡山県在住となる[2]。やがて岡山でも落語家・タレントとして活動を始めるようになり、その活躍ぶりが師匠の八代目助六の知るところとなって、1988年に師匠が真打と認定するという異例の形となった。2001年、ホームヘルパー2級の資格を取得。交通栄誉章縁十字銅賞を受賞。
現在も岡山県を拠点とし、「お笑い赤坂亭」頭取として毎月寄席を開催するほか[1][3]、全国各地で落語会、講演会を行っている。
芸歴
[編集]- 1963年 - 初代雷門福助に入門、「福二」を名乗る。
- 1966年 - 八代目雷門助六門下に移籍、「喜助」を名乗る。日本芸術協会所属となった。
- 1988年 - 師匠の八代目助六より真打として認定される。
出演番組
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “人ひと/客の息遣い感じ一席 「お笑い赤坂亭」頭取 雷門喜助さん(73)”. 朝日新聞デジタル (2018年10月2日). 2024年8月13日閲覧。
- ^ “田園に響き渡る笑い声〜落語女優、元祖住みます芸人に会いに行く | 「おかえりあかいわ」公式サイト|その気にさせる赤磐暮らしメディア”. okaeri-akaiwa.com. 2018年7月8日閲覧。
- ^ “お笑い赤坂亭”. 岡山県赤磐市. 2024年8月13日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 雷門喜助 - システムブレーン