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隠岐隆俊

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隠岐 隆俊
時代 江戸時代中期
生誕 寛政4年(1792年
死没 不明
別名 藤鹿鬼一郎、愛宕隆俊、将監
官位 法眼
氏族 藤原北家四条流八条家隠岐家
父母 父:真田隆義、母:大和小泉藩士大河原弥之助女・千枝
義父:島田元直
兄弟 義兄弟:島田敏直
望月縫殿某養女
小森頼之
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隠岐 隆俊(おき たかとし)は、江戸時代中期の地下官人八条隆英の孫・真田隆義の子。

概要[編集]

地下家伝』には「(島田)元直朝臣男」とあるが、『地下官人家伝』には「実八条前権中納言藤原隆英卿孫真田隼人藤原隆義男」とある。隆義は「八条家譜」には八条隆輔の子とある[1]

享和3年(1803年)12月4日には、仙洞御所の小上臈であった伯母・藤井局の推挙により、11歳で青蓮院門跡に仕えている。文化2年(1805年)7月5日には実父・真田隆義が亡くなっているものの、同4年(1807年)12月には門主から愛宕の家号を賜っている[2]

文政3年(1820年)1月26日には、坊官隠岐家を再興した[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 松田敬之『次男坊たちの江戸時代 公家社会の〈厄介者〉 』(吉川弘文館、2008年)
  2. ^ 松田敬之『次男坊たちの江戸時代 公家社会の〈厄介者〉 』(吉川弘文館、2008年)
  3. ^ 松田敬之『次男坊たちの江戸時代 公家社会の〈厄介者〉 』(吉川弘文館、2008年)