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鍋島直英

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鍋島 直英
鍋島直英像(小城市立郷土資料館蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 元禄12年3月17日1699年4月16日
死没 延享元年9月12日1744年10月17日
改名 万吉(幼名)、多久茂村、直英
戒名 円覚院殿錦山浄高大居士
官位 従五位下加賀守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家継吉宗
肥前小城藩
氏族 鍋島氏後多久氏、鍋島氏
父母 父:鍋島元武、母:春子(城島家永娘)
養父:多久茂文鍋島元延
兄弟 鍋島吉茂養女、元延直英
正室:千重子多久茂文長女)
於市、直員直照三浦能侯田尻維種水町公忠室、園田忠利室、千吉ら
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鍋島 直英(なべしま なおひで)は、江戸時代中期の大名肥前国小城藩5代藩主。官位従五位下加賀守

生涯

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元禄12年(1699年)、3代藩主・鍋島元武の三男として小城にて誕生。

庶子だったため、当初は佐賀藩家老多久鍋島家後多久氏)4代当主・多久茂文の養子となり、多久茂村と名乗る。正徳元年(1711年)、茂文が死去すると家督を継いだ。

正徳4年(1714年)、兄で4代藩主・元延が死去すると、その養子となって家督を継ぎ、12月に従五位下・加賀守に叙位・任官する。その後は幕命により江戸城神田橋門番、朝鮮通信使勅使接待役等を務めた。享保17年(1732年)の享保の大飢饉では流行病と虫害などで1万人の被害者を出すなど、次第に藩財政の悪化が顕著となった。

延享元年(1744年)9月12日に小城で死去した。享年45。跡を次男・直員が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女


脚注

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  1. ^ 三浦能冬の養子。
  2. ^ 田尻松亀某。