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酒井忠禮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠禮
時代 江戸時代後期
生誕 安永8年2月5日1779年3月22日
死没 文政4年7月23日1821年8月20日
戒名 常智院殿光誉勇照義仁大居士
墓所 東京都新宿区袋町光照寺
官位 従五位下、大学頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
出羽松山藩5代藩主
氏族 左衛門尉酒井家分家
父母 父:酒井忠順、養父:酒井忠崇
正室:水野忠体の娘(酒井忠崇の養女)
忠方甲斐庄正誼
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酒井 忠禮(さかい ただのり)は、出羽松山藩5代藩主。左衛門尉酒井家分家5代。本家である庄内藩主・酒井忠温の次男・酒井忠順の長男。

寛政6年(1794年)4月24日、先代藩主の忠崇の婿養子となる。寛政10年(1798年)11月26日、忠崇の隠居で跡を継いだ。藩財政再建のために文政3年(1820年)から専売制を実施したが、失敗して翌年に廃止する。他にも荷出役銭を徴収するなどしたが、効果はなく失敗に終わる。その失意のうちに文政4年(1821年)7月23日に43歳で死去した。跡を長男・忠方が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女