谷川秀善
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谷川 秀善 たにがわ しゅうぜん | |
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第23回参議院議員通常選挙 梅田での応援演説 | |
生年月日 | 1934年2月3日(90歳) |
出生地 | 兵庫県尼崎市 |
出身校 | 大阪大学法学部 |
前職 | 大阪府副知事 |
所属政党 | 自由民主党(町村派) |
称号 |
法学士 旭日重光章 |
子女 |
谷川正秀(長男) 谷川とむ(次男) |
公式サイト | 谷川秀善ウェブサイト |
選挙区 | 大阪府選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1995年7月23日 - 2013年7月28日 |
谷川 秀善(たにがわ しゅうぜん、1934年〈昭和9年〉2月3日 - )は、日本の政治家。
参議院議員(3期)、外務副大臣、大阪府副知事、自由民主党参議院幹事長を歴任。
来歴
[編集]兵庫県尼崎市生まれ。兵庫県立尼崎高等学校、大阪大学法学部卒業[1]。1957年、大阪府庁に入庁した。赤間文三大阪府知事秘書、大阪府理事、生活文化部長、企画調整部長を経て、1992年に中川和雄知事の下、大阪府副知事に就任する。
1995年、大阪府庁を退職。第17回参議院議員通常選挙に定数3の大阪府選挙区から自由民主党公認で出馬し、最下位で初当選した。2001年の第19回参議院議員通常選挙では、小泉旋風を受けて[要出典]トップ当選。2004年、第2次小泉改造内閣で外務副大臣に任命された。
2007年の第21回参議院議員通常選挙では、安倍内閣や自民党への逆風が影響し、最下位で3選。同年8月、自民党両院議員総会長に就任。10月、福田康夫内閣で清和政策研究会会長の町村信孝が内閣官房長官に就任し、閥務に時間を割けなくなったため、町村、中川秀直、谷川の3人が町村派代表世話人に就任する[2]。2009年3月、体調不良により辞任した山崎正昭に代わり、自民党参議院幹事長に就任。
2012年6月、翌年の第23回参議院議員通常選挙には立候補せず、引退することを表明した[3]。
2013年11月、秋の叙勲で旭日重光章を受章した[4]。 現在は、浄土真宗本願寺派万徳寺僧侶として隠居生活。
人物
[編集]- 生家は浄土真宗本願寺派萬徳寺で、かつては住職も務めていた[要出典]。
- 長男の谷川正秀は、1991年に尼崎市議会議員選挙に出馬し、初当選。1992年には生家の住職を継いだ[要出典]。2006年、4期目の途中で市議を辞職し尼崎市長選挙に立候補したが、現職の白井文に大差で敗れた。その後は父である谷川の公設第一秘書を務める[要出典]。
- 次男で秘書の谷川とむ[5]が、2014年の第47回衆議院議員総選挙に自民党公認で大阪府第19区から出馬し、比例近畿ブロックで復活当選。
政策
[編集]所属していた団体・議員連盟
[編集]発言
[編集]- 「尻に火が付いているのに消さないと言っている。かちかち山のタヌキじゃあるまいし、大ごとになってしまうと言いたい。非常に心配している」(2009年6月9日、日本郵政社長人事問題で揺れていた首相の麻生太郎に)[8]
- 「立ち上がるには、ギプスと杖2、3本いるのとちゃいますか」(2010年4月10日、たちあがれ日本の結成について)[9]
脚注
[編集]- ^ 平成25年度総会報告青雲会 大阪大学法学部同窓会
- ^ “細田派(清和政策研究会)”. 集英社. 2021年2月10日閲覧。
- ^ 堀文彦 (2012年6月14日). “自民党:谷川参院議員が引退へ”. 毎日jp (毎日新聞社) 2012年6月16日閲覧。
- ^ 平成25年秋の叙勲受賞者名簿内閣府
- ^ [1]
- ^ 選択的夫婦別姓制度法制化反対に関する請願、第174回国会 法務委員会 請願434号
- ^ “公平性を欠くたばこ税増税反対に関する請願”. 参議院. 2020年11月22日閲覧。
- ^ “進退問題「かちかち山のタヌキ」 谷川氏が首相に苦言”. 共同通信社. 47NEWS. (2009年6月9日) 2013年6月6日閲覧。
- ^ “自民谷川氏、新党「ギプスと杖が必要」 平沼氏らを酷評”. 日本経済新聞. (2010年4月10日) 2013年6月4日閲覧。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 逢沢一郎 阿部正俊 |
外務副大臣 逢沢一郎と共同 2004年 - 2005年 |
次代 塩崎恭久 金田勝年 |
議会 | ||
先代 田浦直 |
参議院経済産業委員長 2003年 - 2004年 |
次代 佐藤昭郎 |
先代 鎌田要人 |
参議院決算委員長 2000年 - 2001年 |
次代 岩井國臣 |
党職 | ||
先代 山崎正昭 |
自由民主党参議院幹事長 2009年 - 2010年 |
次代 小坂憲次 |