西村精一
西村 精一(にしむら せいいち、1855年7月21日(安政2年6月8日[1][2][3][注釈 1])- 1924年(大正13年)3月20日[1][4][注釈 2])は、明治から大正期の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。
経歴
[編集]長門国阿武郡、現在の山口県萩市[2]で長州藩士・西村昌三の三男[注釈 3]として生まれる[2][5]。1871年(明治4年)大阪開成黌に入学[6]。1874年(明治7年)東京陸軍兵学寮(のち陸軍士官学校)に転じ[6]、1876年(明治9年)に卒業し陸軍少尉試補となる[5][6]。
1877年(明治10年)4月21日、陸軍少尉任官[7]。1894年(明治27年)3月、野戦砲兵第2連隊長に就任し[7] 日清戦争に出征[3]。威海衛作戦などに参加[3]。その後、台湾に派遣された[3]。1895年(明治28年)10月、砲兵大佐に昇進した[7]。
1897年(明治30年)10月、野戦砲兵第10連隊長となり[7]、1900年(明治33年)4月、陸軍少将に進級し舞鶴要塞司令官に就任した[3][7]。同年7月、東京砲兵工廠提理に発令され[3][7]、1902年(明治35年)5月から翌年5月まで兵器監事務取扱を兼務した[7]。
1906年(明治39年)7月、陸軍中将に進み[3][7]、1907年(明治40年)9月21日、その功績により男爵を叙爵し華族となった。1910年(明治43年)11月に待命となり[3][7]、1913年(大正2年)1月、予備役に編入[3][7]。1918年(大正7年)4月1日、後備役となる[8]。
1918年7月10日、貴族院男爵議員に当選し[9][10]、死去するまで貴族院議員に在任した[4][11]。墓所は雑司ヶ谷霊園。
家族
[編集]- 父・西村昌三 ‐ 長州藩士[12]
- 妻・ちどり ‐ 長州藩士・福永得三の長女[12]
- 長男・西村敬三(1888-1962) ‐ 男爵、陸軍軍人。陸軍士官学校卒。岳父に荘清次郎、笠井定次郎。[12]
- 三女・シヅコ ‐ 多久安信の妻(のち安部輝太郎と再婚)。学習院女学部出身。[12]
- 四女・定子 ‐ 青山秀三郎の妻。子に青山博之。学習院女学部出身。[12]
- 五女・繁子 ‐ 近藤虎五郎長男・近藤光之(農学博士)の妻。学習院女学部出身。[12]
栄典
[編集]- 位階
- 1900年(明治33年)7月10日 - 正五位[10]
- 1905年(明治38年)7月20日 - 従四位[13]
- 1910年(明治43年)8月10日 - 正四位[14]
- 1913年(大正2年)1月30日 - 従三位[15]
- 1923年(大正12年)2月10日 - 正三位[16]
- 勲章等
- 1885年(明治18年)4月7日 - 勲五等双光旭日章[17]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[18]
- 1893年(明治26年)5月26日 - 勲四等瑞宝章[19]
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[20]
- 1897年(明治30年)11月25日 - 勲三等瑞宝章[21]
- 1905年(明治38年)5月30日 - 勲二等瑞宝章[22]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日重光章・功二級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章[23]
- 1907年(明治40年)9月21日 - 男爵 [24]
- 1924年(大正13年)3月20日 - 勲一等瑞宝章
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 下巻』317-318頁。
- ^ a b c 『防長人物百年史』202頁。
- ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』553頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』81頁。
- ^ a b 『増補 近世防長人名辞典 第2刷』185頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第4版』に27頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』35頁。
- ^ 『官報』第1702号、大正7年4月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
- ^ a b 『官報』第5106号「叙任及辞令」1900年7月11日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
- ^ a b c d e f 西村敬三『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
- ^ 『官報』第6618号「叙任及辞令」1905年7月22日。
- ^ 『官報』第8142号「叙任及辞令」1910年8月11日。
- ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
- ^ 『官報』第3158号「叙任及辞令」1923年2月12日。
- ^ 『官報』第556号「賞勲叙任」1885年5月12日。
- ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
- ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
- ^ 『官報』号外「辞令」1896年11月20日。
- ^ 『官報』第4323号「叙任及辞令」1897年11月27日。
- ^ 『官報』第6627号「叙任及辞令」1905年8月2日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 末弘錦江『防長人物百年史』山口県人会、1966年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 吉田祥朔『増補 近世防長人名辞典 第2刷』マツノ書店、2002年。
日本の爵位 | ||
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