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薄 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トラック諸島に沈む薄の仮設艦首
基本情報
建造所 東京石川島造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
哨戒艇
級名 樅型駆逐艦
第三十一号型哨戒艇
建造費 1,390,814円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 1917年度計画(八四艦隊案[1]
起工 1920年5月3日[1]
進水 1921年2月21日[1]
竣工 1921年5月25日[1]
最期 1944年7月3日被弾沈没[2]
除籍 1945年1月10日[3]
その後 1940年4月1日哨戒艇編入、第三十四号哨戒艇と改名[1]
1941年高速輸送艦に改造[1]
1943年3月6日船団護衛中「矢風」と衝突[1]し船体切断、前部喪失
現況 ダイビングスポット
要目
基準排水量 公表値 770トン
常備排水量 850.00トン
全長 290 ftin (88.39 m)
水線長 280 ft 0 in (85.34 m)
垂線間長 275 ft 0 in (83.82 m)
最大幅 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
深さ 16 ft 3 in (4.95 m)
吃水 8 ft 0 in (2.44 m)
ボイラー ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基
主機 ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧)x2基[4]
推進 2軸 x 400rpm
直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径2.565m、ピッチ3.353m
出力 21,500shp
速力 駆逐艦時
36ノット
哨戒艇時
18ノット
燃料 重油250トン
航続距離 14ノットで3,000カイリ
乗員 計画乗員 107名[5]
竣工時定員 110名[6]
兵装 駆逐艦時
45口径三年式12cm砲x単装3門
三年式機砲x2挺
53cm連装発射管x2基4門
魚雷x8本
哨戒艇時
45口径三年式12cm砲x単装2門
搭載艇 内火艇x1隻、18ftカッターx2隻、20ft通船x1隻
その他 輸送人員110名(哨戒艇時)
※トンは英トン
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(すすき)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の12番艦である。

艦歴

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1920年(大正9年)5月3日、東京石川島造船所で起工[7]1921年(大正10年)2月21日午後3時30分進水[8]。同年5月25日竣工[9]

1937年昭和12年)から1938年(昭和13年)まで、日中戦争において華北沿岸の作戦に参加した[1]

1940年(昭和15年)4月1日、哨戒艇に類別変更。第三十四号哨戒艇に改称。

太平洋戦争において南方で海上護衛、哨戒作戦に従事[1]1943年 (昭和18年)3月6日、船団護衛中にカビエン南方で特務艦矢風と衝突[10]。この時に前部マスト後方で船体が分断されて前部が沈没。後部は防水作業に成功し、曳船の曳航でトラックに移動。同地にて仮設艦橋と仮設艦首の取り付けが行われ、以降トラックから離れることはなかった。同年5月1日、第四予備哨戒艇(第四予備艦は廃艦予定の艦が指定される)に指定され[3]、兵装の撤去が行われた。1944年(昭和19年)2月17日から18日にかけて、トラック島空襲に遭遇するも被害はなかった[2]。その後もトラックは米軍の空襲を何度か受け、7月3日の空襲で被弾沈没した[2]1945年(昭和20年)1月10日に除籍。

現在、夏島(デュブロン島)の西、水深15mの地点にて左舷を下にして若干傾斜した状態で沈んでおり、後部砲座跡や仮設艦首、機械室等を見ることができる[2]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 石井先知 少佐:1921年2月10日[11] - 1921年3月19日[12]
駆逐艦長
  • 石井先知 少佐:1921年3月19日[12] - 1921年7月1日[13]
  • 西川速水 少佐:1921年7月1日[13] - 1922年12月1日[14]
  • 久我徳一 少佐:1922年12月1日[14] - 1923年6月11日[15]
  • 長尾惣助 少佐:1923年6月11日[15] - 1924年12月1日[16]
  • 広瀬末人 少佐:1924年12月1日 - 1927年6月20日
  • (兼)宮武重敏 少佐:1927年6月20日[17] - 1927年12月1日[18]
  • 高橋一松 少佐:1927年11月15日[19] - 1928年12月10日
  • 中川浩 少佐:1928年12月10日 - 1929年10月3日
  • 村上暢之助 大尉:1929年10月3日 - 1931年11月2日
  • 佐々木丙二 大尉:1931年11月2日[20] - 1932年5月30日[21]
  • 森可久 少佐:1932年5月30日[21] - 1932年12月1日[22]
  • 野間口兼知 大尉:1932年12月1日[22] - 1934年11月15日[23]
  • 田村礼三 少佐:1934年11月15日[23] - 1935年11月15日[24]
  • (兼)宇垣環 少佐:1935年11月15日[24] - 1936年5月26日[25]
  • (兼)愛甲文雄 大尉:1936年5月26日[25] - 1936年12月1日[26]
  • (兼)上杉義男 少佐:1936年12月1日[26] - 1937年4月6日[27]
  • (兼)愛甲文雄 少佐:1937年4月6日[27] - 1937年10月25日[28]
  • 山下達喜 大尉/少佐:1937年10月25日[28] - 1939年2月20日[29]
第一哨戒艇隊特務艇長[注釈 1][注釈 2]
  • 八巻循吉 予備大尉:1941年11月20日[30] - 1942年4月10日[31]
哨戒艇長[注釈 2]
  • 八巻循吉 予備少佐:1943年2月15日[32] -

脚注

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注釈

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  1. ^ 海軍辞令公報上の職名は全員が「第一哨戒艇隊特務艇長兼分隊長」で、誰がどの艇の艇長なのかは記載されていない。本艇については八巻予備大尉が1942年4月10日に本艇と同時に佐伯防備隊へ異動し、1943年2月15日の哨戒艇長新設に伴い本艇の哨戒艇長に任じられているため、当時の特務艇長の判定が可能。第一哨戒艇隊特務艇長は海軍省が発令するもので、防備隊編制令や哨戒艇乗員標準による制限を受けない。
  2. ^ a b 昭和18年2月15日付 海軍大臣達 第23号による艦船乗員服務規程第1条第2項の改正で哨戒艇長が新設されるまでは、第一哨戒艇隊特務艇長を除き、本艇に限らず哨戒艇の艇長は公式には存在しない。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本海軍史』第7巻、301頁。
  2. ^ a b c d チューク州観光局発行のDive-Mapより。
  3. ^ a b #日本海軍全艦艇史 資料編「主要艦艇艦歴表」12頁。
  4. ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
  5. ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
  6. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
  7. ^ #T10公文備考24艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(1)画像3『大正九年五月三日 株式會社東京石川島造船所 取締役支配人内田徳郎 海軍大臣加藤友三郎殿 貳等驅逐艦薄起工修了御届ノ件 貳等驅逐艦薄今三日午前拾壱時起工ヲ了シ候間此段御届申上候 敬具(終)』
  8. ^ #T10公文備考24艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(2)画像33『大正十年二月二十一日(中略)二等驅逐艦薄今二十一日午后三時三十分無事進水執行ヲ了シ候間此段御届申上候 敬具 (終)』
  9. ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1074-1075、昭和3年2月14日附内令第34号、艦船要目公表範囲。
  10. ^ 『日本海軍護衛艦艇史』99頁。
  11. ^ 『官報』第2557号、大正10年2月12日。
  12. ^ a b 『官報』第2588号、大正10年3月22日。
  13. ^ a b 『官報』第2676号、大正10年7月2日。
  14. ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  15. ^ a b 『官報』第3259号、大正12年6月12日。
  16. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  17. ^ 『官報』第142号、昭和2年6月21日。
  18. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  19. ^ 『官報』第266号、昭和2年11月16日。
  20. ^ 『官報』第1455号、昭和6年11月4日。
  21. ^ a b 『官報』第1624号、昭和7年6月1日。
  22. ^ a b 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  23. ^ a b 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
  24. ^ a b 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  25. ^ a b 『官報』第2818号、昭和11年5月27日。
  26. ^ a b 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  27. ^ a b 『官報』第3076号、昭和12年4月7日。
  28. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第80号 昭和12年10月25日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072400 
  29. ^ 海軍辞令公報(部内限)第303号 昭和14年2月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075400 
  30. ^ 昭和16年11月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第752号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083200 
  31. ^ 昭和17年4月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第841号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100 
  32. ^ 昭和18年2月16日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1054号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700 

参考文献

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  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2 
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』(海人社、1996年) ISBN 4-905551-55-2
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備〈1〉 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正10年 公文備考 巻24 艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(1)』。Ref.C08050173100。 
    • 『大正10年 公文備考 巻24 艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(2)』。Ref.C08050173200。 

関連項目

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外部リンク

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