荒川友雪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

荒川友雪(あらかわ ともゆき 1952年07月11日 - )は、日本の陶芸家。作陶名は友雪(ゆうせつ)[1]

経歴[編集]

愛知県豊田市八草町(旧・愛知県西加茂郡猿投町大字八草)出身。農家の三男として生まれる[2]。25歳のとき、陶芸の道へと進む[2]。主に愛知県周辺を中心として活躍し、県内外の多くの窯場の作陶指導と穿窯(あながま)築窯の指導に携わる。「男のやきもの」第116回 荒川友雪の薄平鉢『週刊ポスト』1992年9月第4週参照。

良質な天然土と薪燃料の穿窯(あながま)を求めて日本中を放浪し、古の陶工本来の姿を追及。多数の個展開催実績があり、NHK TV『作法の極意』やCBC TV『板東英二の名古屋そこ知り』のテレビ出演、週刊ポストの『男の焼き物』[3]など、毎日新聞[4]を始め多くのメディアに露出。西部邁田原総一朗を始めとして各界に幅広い人脈をもつ。荒川の陶房「天河窯(てんこうよう)」は、田原総一朗が名付けたものである[2]

日本浪漫派の流れを汲み、三島由紀夫高橋和巳を芸術精神の源流とする。作陶開始期より、公募展の賞取りレースの持つ精神磨耗性や前近代性を見抜き、一切の公募展との関わりを否定。それよりも、現代社会に於ける芸術家の役割りを重視し、多くの社会事象に積極的に発言する。 特に環境問題には敏感に反応し、2005年開催の愛知万博ではその万博の実相を『イカサマ環境博事件』の造語でもって一蹴し、愛知万博に疑問を持つ環境派たちから高い評価を受ける。愛知万博拡大案の撤廃活動では、愛知万博で当初予定していた投入予算2兆5千億円が1兆5千億円となり、1兆円もの税金投入が回避されたとみられる。 又、設楽ダム建設問題にも立木トラスト等で積極的に反対姿勢をとる。直近の取り組みは入会権問題であり、2011年12月時点で名古屋地裁岡崎支部にて原告係争中。入会権=環境権が持論

社会活動[編集]

  • 1999年10月、愛知万博の会場予定地・瀬戸市海上の森での万博開催に疑問を呈し、同所にて大自然をギャラリーとして「文明の墓標」と題する自作の13個の焼き物を並べた野外展を開き、「開発」の意味を問うた[5]
  • 廃止が計画された名鉄三河線猿投西中金間の存続運動を盛り上げるため、西中金駅に近い豊田市力石町の石野公民館で開催された2001年4月の「石野竹の子まつり」に、同線を利用して訪れた来場者へ自作の茶碗を贈ることを発案[6]

個展[編集]

  • 東京日比谷画廊
  • 名古屋名鉄百貨店美術部
  • 愛知県瀬戸市海上の森(かいしょうのもり)での反愛知万博展
  • ホテルシーパレスリゾート1階ギャラリー

代表作品[編集]

  • 『ザロモ』
  • 『フォアボルゲンナイト』
  • 『バベル』
  • 『ペラペラ手平向付』
  • 『猿投志野』
  • 『平谷唐津』
  • 『初源』

器作品納入実績[編集]

出典[編集]

  1. ^ プロフィール - 天河窯―tenkoyo―
  2. ^ a b c 中日新聞1999年10月26日朝刊西三河版18面
  3. ^ 「男のやきもの」第116回 荒川友雪の薄平鉢『週刊ポスト』1992年9月第4週。
  4. ^ 平谷村全世帯に茶わん『毎日新聞』2006年6月16日。
  5. ^ 朝日新聞1999年9月5日名古屋地方版/愛知24面、中日新聞1999年10月14日朝刊なごや東版20面、中日新聞1999年10月26日朝刊西三河版18面
  6. ^ 中日新聞2001年4月28日朝刊西三河版22面

関連項目[編集]

外部リンク[編集]