船津町 (岐阜県)
表示
ふなつちょう 船津町 | |
---|---|
廃止日 | 1950年6月10日 |
廃止理由 |
合併 船津町・袖川村・阿曽布村 → 神岡町 |
現在の自治体 | 飛騨市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 吉城郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
船津町役場 | |
所在地 | 岐阜県吉城郡船津町 |
座標 | 北緯36度19分55秒 東経137度18分05秒 / 北緯36.33197度 東経137.30128度座標: 北緯36度19分55秒 東経137度18分05秒 / 北緯36.33197度 東経137.30128度 |
ウィキプロジェクト |
神通川支流高原川の上流に位置し、神岡鉱山(亜鉛・鉛・銀鉱山)の中心地として栄えた。
1950年に合併して成立した神岡町の中心地に相当する。現在は飛騨市の一部である。
歴史
[編集]- 江戸時代末期、この地域は飛騨国吉城郡高原郷であり、天領であった。江戸幕府により銀の採掘が行われ、この時期から鉱山の町として賑わったという。明治に入り1889年に鉱山経営が全面的に三井財閥に移るとより大きな町になった。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、飛騨国一円は筑摩県となる。
- 1875年(明治8年)7月1日 - 高原郷が下高原郷と上高原郷(後の上宝村域、現高山市上宝町・奥飛騨温泉郷に相当)とに分立。そのうち下高原郷49か村が合併し神岡村が成立。
- 1876年(明治9年)8月20日 - 筑摩県から岐阜県に移行。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 神岡村を3分割し、町村制施行により袖川村・阿曽布村とともに船津町が成立。船津町は旧下高原郷のうち船津・朝浦・東町・鹿間・割石・吉ヶ原・二ツ屋・西漆山・東漆山・笈破・牧・土・西茂住・東茂住・杉山・横山・中山・谷・跡津川・佐古・大多和の旧21か村の地域からなる。旧村名を継承して計21大字を編成。
- 1929年(昭和4年)5月20日 - 玉川町から出火。町役場、裁判所出張所、営林署、郵便局などの公共施設を含む1200余戸が全焼[1]。
- 1950年(昭和25年)6月10日 - 袖川村・阿曽布村と合併し神岡町が成立、船津町が廃止。
交通機関
[編集]- 神岡軌道
- 茂住 - 杉山 - 土 - 鹿間 - 東町
神岡町成立後の1966年(昭和41年)に国鉄神岡線が開通した。旧船津町域の駅は次のとおりである(駅名は開業当時のもの)。
学校
[編集]小学校
[編集]- 船津町立船津小学校(後の飛騨市立神岡東小学校
- 船津町立茂住小学校(後の神岡町立茂住小学校)
- 船津町立茂住小学校谷分校(後の神岡町立茂住小学校谷分校)
- 船津町立漆山小学校(後の神岡町立漆山小学校)
- 船津町立漆山小学校跡津川分校(後の神岡町立漆山小学校跡津川分校)
- 船津町立漆山小学校佐古分校(後の神岡町立漆山小学校佐古分校)
- 私立神岡第二小学校(1953年に神岡町に移管され、神岡町立大津山小学校)
中学校
[編集]高等学校
[編集]- 神岡高等鉱山学校(後の神岡町立神岡工業高等学校) - 1997年に岐阜県立飛騨神岡高等学校統廃合
- 岐阜県立船津高等学校 - 1997年に飛騨神岡高等学校に統廃合