綾部美知枝
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | アヤベ ミチエ | |||||
ラテン文字 | AYABE Michie | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1948年11月4日(75歳) | |||||
出身地 | 静岡県清水市(現静岡市清水区) | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1969-197? | 飯田ファイターズ | |||||
1974-197? | 西河内小スポーツ少年団 | |||||
1976-19?? | 辻サッカースポーツ少年団 | |||||
19??-19?? | 浜田サッカースポーツ少年団 | |||||
1971-1981 | オール清水/清水FC | |||||
198?-200? | 清水FCママ | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
綾部 美知枝(あやべ みちえ、旧姓: 押見[1]、1948年11月4日[2] - )は、日本の女性教育者、サッカー指導者。日本体育大学女子短期大学部卒業[1]。静岡県清水市(現静岡市清水区)出身[3]。元・日本サッカー協会特任理事、静岡市生活文化局文化スポーツ部参与兼サッカーのまち推進室長[4]。日本初の女性サッカー指導者と呼ばれる人物である[5][6]。
経歴
[編集]清水市立江尻小学校在学時に堀田哲爾からサッカーの指導を受けるが競技には傾倒せず[1]、中学と高校では陸上競技やバレーボール、日本体育大学女子短期大学部在学時には創作ダンスに打ち込んだ[1]。
1969年、清水市立飯田小学校に赴任[3]。担任をすることになった2年生の生徒に誘われサッカーを始めると、恩師である堀田の下を生徒と共に訪れ指導法を学び[7]、同小学校に「飯田ファイターズ」を結成した[8]。当時の教え子には遠藤友則(元ACミランメディカルトレーナー)がいる[8]。
1971年、堀田らの勧めもあって静岡県主催のコーチングスクールに女性として唯一参加[9][10]。同年、オール清水(清水FCの前身)の監督に就任し風間八宏や大木武らを指導[11]、1973年には第7回全国サッカースポーツ少年団大会に出場し準優勝に導いた[12]。清水FCの監督としては1977年には長谷川健太、大榎克己、堀池巧らを擁して第1回全日本少年サッカー大会優勝[11][13]、1981年には平岡宏章、古賀琢磨らを擁して第5回大会で3位に導いた[14][15]。
その後も小学校教員を務めながら少年サッカーの辻サッカースポーツ少年団や西河内小スポーツ少年団[16] や浜田サッカースポーツ少年団[17] や清水FC[18]、女子サッカーの清水FCママの指導に携わった[19][20][21][22]。綾部はさまざまな指導法を工夫して少年らの育成に取り組んだが[5][23]、細やかな指導法は各指導者からも一目置かれていた[13]。
1994年、清水市教育委員会スポーツ振興課に異動し、サッカーのまち推進担当に就任すると、翌1995年よりサッカーのまち推進室室長を務め[3]、清水ナショナルトレーニングセンター構想の実現に携わった[18]。2003年の静岡市との合併後も同市サッカーのまち推進室長などを務めた[4]。
1996年、日本サッカー協会 (JFA) 特任理事に就任し、2000年の役員改選で理事に昇格。以後4種大会副部会長などを務めたが、2010年7月の役員改選で野田朱美と入れ替わる形で理事を退き、再び特任理事となり、同リスペクト・フェアプレー委員、同4種大会部会長などを務めた[24]。
2016年3月、JFAの組織改正に伴い特任理事を退任し、名誉役員に就任した[25][26]。このほか、清水エスパルス後援会常任理事、静岡県サッカー協会評議員[11]、ホテルセンチュリー静岡の営業部付支配人を務めている[27]。
受賞歴
[編集]- 1994年 エイボン女性年度賞(スポーツ賞)[28]
- 1998年 朝日スポーツ賞[29]
- 2009年 静岡市体育協会功労章[30]
- 2014年 静岡市体育協会功労章[31]
- 2022年 日本サッカー殿堂入り[32]
- 2023年 日本プロスポーツ大賞スポーツ功労者賞(女子プロサッカー)[33]
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 大住 1995、219頁
- ^ “(協議)資料NO.3 2010・2011 年度 財団法人日本サッカー協会 新役員” (PDF). 日本サッカー協会 (2010年7月25日). 2013年10月26日閲覧。
- ^ a b c 大住 1995、210頁
- ^ a b “第10回全国ホームタウンサミットIN 新潟 参加報告”. アルディージャ後援会 (2009年11月27日). 2013年10月26日閲覧。
- ^ a b “日本初の女性指導者、綾部美知枝”. 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評 (2013年12月3日). 2016年7月28日閲覧。
- ^ 静岡県 1990、189頁
- ^ 大住 1995、220-221頁
- ^ a b 静岡県 1990、194頁
- ^ 大住 1995、218頁
- ^ 大住 1995、222頁
- ^ 静岡県 1990、439頁
- ^ a b 静岡県 1990、440-441頁
- ^ “沿革(昭和50~59年)”. 清水サッカー協会. 2016年7月28日閲覧。
- ^ 静岡県 1990、445頁
- ^ 静岡県 1990、195頁
- ^ 静岡県 1990、190頁
- ^ a b 大住 1995、223頁
- ^ “沿革(昭和60~63年)”. 清水サッカー協会. 2016年7月28日閲覧。
- ^ “沿革(平成元~6年)”. 清水サッカー協会. 2016年7月28日閲覧。
- ^ “沿革(平成7~12年)”. 清水サッカー協会. 2016年7月28日閲覧。
- ^ “沿革(平成13~17年)”. 清水サッカー協会. 2016年7月28日閲覧。
- ^ “時評 サッカージャーナル 少年サッカーの指導者”. 牛木素吉郎 サッカーマガジン・アーカイブス (1977年9月25日). 2016年7月31日閲覧。
- ^ “演者決定!リスペクトF.C. JAPANシンポジウム(追加募集のご案内)”. 日本サッカー協会 (2013年8月21日). 2013年10月26日閲覧。
- ^ “資料NO.1 役員等予定者リスト” (PDF). 日本サッカー協会. 2016年7月28日閲覧。
- ^ “理事会”. 日本サッカー協会. 2016年7月28日閲覧。
- ^ 高部 2016, p. 70.
- ^ “エイボン女性年度賞 1979年~2000年 受賞者一覧”. エイボン・プロダクツ. 2016年7月31日閲覧。
- ^ “朝日スポーツ賞”. 朝日新聞社インフォメーション. 2013年10月26日閲覧。
- ^ “沿革(平成21~22年)”. 清水サッカー協会. 2016年7月29日閲覧。
- ^ “平成26年度(公財)静岡市体育協会 功労章・優秀指導者章 受賞”. 清水サッカー協会/静岡県サッカー協会中東部支部. 2016年7月28日閲覧。
- ^ “清水サッカーの母 綾部さんが殿堂入り 女性初、都内で掲額式典”. あなたの静岡新聞. 2022年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月3日閲覧。
- ^ “【各賞一覧】『第53回日本プロスポーツ大賞』はWBC制覇の侍ジャパン 殊勲賞に北口榛花&大谷翔平&井上尚弥(日テレNEWS NNN)”. Yahoo!ニュース. 2023年12月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 大住良之『Jリーグ群像 夢の礎』アストロ教育システム、1995年。ISBN 978-4755508578。
- 静岡サッカー70年のあゆみ編集委員会編『静岡サッカー70年のあゆみ』静岡県サッカー協会、1990年。 NCID BN05431038。
- 高部務『無敵の少年サッカー発祥の地 清水サッカー物語』静岡新聞社、2016年8月。ISBN 978-4-7838-2251-6。