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細川益男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほそかわ ますお

細川 益男
『粉砕』第5号(1960年)掲載肖像
生誕 1924年11月29日[1]
日本の旗 日本 大阪府[1]
死没 (2010-03-31) 2010年3月31日(85歳没)[1]
出身校 京都大学工学部化学機械科[1]
職業 実業家馬主
肩書き ホソカワ粉体技術研究所株式会社名誉会長
ホソカワミクロン株式会社元代表取締役会長
東北大学元非常勤理事
受賞 紫綬褒章
勲四等旭日小綬章
[1]
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細川 益男(ほそかわ ますお、1924年11月29日 - 2010年3月31日)は、日本の実業家馬主

経歴

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1924年11月29日大阪府に生まれる。

1943年旧制浪速高等学校を卒業後、京都帝国大学工学部化学機械科へ入学。卒業後、武田薬品工業で研究員として勤めたのち、1951年、父の細川永一から細川鉄工所(現:ホソカワミクロン)を継承し、1961年に同社の代表取締役社長となる。1995年、同社代表取締役会長に就任。

2006年東北大学の非常勤理事に就任[2]

2010年3月31日肺炎のため死去。85歳没[1][3]

馬主活動

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細川の勝負服

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は赤、青二本輪、青袖赤二本輪、冠名には浪速高等学校(旧制)所在地の豊中市待兼山に由来する[4]「マチカネ」を主に、ほか1984年新潟大賞典で勝利したミクロンテンローおよび自社名から「ミクロン」も冠名に用いた。

1966年イギリスで手術を受けた際、競馬ファンとして知られるエリザベス女王の侍医を務めていた医師の勧めから日本中央競馬会の馬主[4][5]となった。「笑う門には福来たる」の成句から、マチカネワラウカドマチカネフクキタルなど、軽妙な馬名を一般公募で命名[4]していた。

オーナーブリーダーでもあり、1992年門別町の優駿牧場を買い取り、待兼牧場を開いた[5]。また、1997年9月8日には所有馬のファンクラブである「マチカネファンクラブ」を結成[5]。同年時点で150人ほどの会員が在籍、会報『フクキタル』も発行されていた[5]

長男の細川悦男[6]も馬主としてマチカネモエギなど数頭を所有[7]し、益男の死後に益男と悦男の所有馬は、社台ファーム代表吉田照哉の夫人である吉田千津が所有した。悦男の妹である細川祐季子も、馬主として冠名「ユノ」の数頭を2019年まで所有[8]していた。

競走馬の馬名には、年度ごとにテーマも定めている年があった。これまで用いられたテーマは以下の通り[5]

テーマ一覧

主な所有馬

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GI級競走優勝馬

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重賞競走優勝馬

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その他の所有馬

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受賞・受章

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受賞

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  • 大阪府優秀発明功績賞(1964年)
  • 発明協会全国表彰発明賞(1965年)
  • 大阪府知事賞(1983年)

受章

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著書

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  • 『なにわ塾第74巻 水車小屋の若者の夢、世界を駆ける』(ブレーンセンター、1999年7月1日)
  • 『京大オミクロンの追憶 1945―紅の梓弓』(鳥影社、2004年5月1日)
  • 『ナノパーティクルテクノロジーハンドブック』(日刊工業新聞社、2006年4月1日)

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時の格付けはオープン特別。

出典

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  1. ^ a b c d e f 創立者紹介 | 財団情報 - 公益財団法人 ホソカワ粉体工学振興財団、2022年10月23日閲覧。
  2. ^ 平成18年11月 就任のご挨拶 - 東北大学、2022年10月23日閲覧。
  3. ^ 細川益男・ホソカワミクロン会長が死去”. 日本経済新聞 (2010年4月5日). 2024年7月21日閲覧。
  4. ^ a b c 産業経済新聞社発行 Gallop臨時増刊「週刊100名馬」vol.80号 マチカネフクキタル pp.4-5
  5. ^ a b c d e 光文社発行 FLASH臨時増刊 競馬の達人 1998年1月号 P82-83
  6. ^ ホソカワミクロン公式サイト「故 ホソカワミクロン株式会社 会長 細川 益男 の「お別れの会」について」 - 2010年4月26日発信
  7. ^ ネットケイバ公式サイト「細川悦男の年度別成績」
  8. ^ ネットケイバ公式サイト「細川祐季子の年度別成績」

参考文献

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  • 『FLASH臨時増刊 競馬の達人』1998年1月号(光文社)「マチカネ軍団の30年 細川益男オーナー 独占インタビュー」

外部リンク

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