コンテンツにスキップ

第二十四号海防艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第二十四号海防艦
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
級名 第二号型海防艦
建造費 5,363,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1943年11月1日
進水 1944年1月27日
竣工 1944年3月28日
最期 1944年6月28日被雷沈没
除籍 1944年8月10日[注釈 1]
要目(竣工時)
基準排水量 740トン
全長 69.50m
最大幅 8.60m
吃水 3.05m
機関 艦本式甲25型1段減速式オールギヤード蒸気タービン1基
ボイラー 艦本式ホ号空気予熱器付重油専焼水管缶2基
推進 1軸
出力 2,500shp
速力 17.5ノット
燃料 重油240トン
航続距離 14ノットで4,500カイリ
乗員 定員141名[注釈 2]
兵装 45口径12cm高角砲 単装2基
25mm機銃 3連装2基
三式爆雷投射機12基
爆雷120個
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
テンプレートを表示

第二十四号海防艦[注釈 3](だいにじゅうよんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦第二号型海防艦(丁型)の12番艦。船団護衛中に撃沈された。

艦歴

[編集]

マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の12番艦、仮称艦名第2712号艦として計画。1943年11月1日、三菱重工業長崎造船所で建造番号957番船[1]として仮称艦名第2709号艦同第2710号艦同第2711号艦と同時に起工。12月22日、第二十四号海防艦と命名されて第二号型海防艦の12番艦に定められ、本籍を舞鶴鎮守府と仮定。

1944年1月27日、第22号海防艦と同日に進水。2月7日、艤装員事務所が長崎海軍監督官事務所内で事務を開始。3月28日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を舞鶴鎮守府に、役務を舞鶴鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められ、呉防備戦隊に編入。基礎実力練成教育に従事。

4月28日、連合艦隊附属に編入。同日、横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され、軍隊区分丁直接護衛部隊に配置。横浜へ回航。

5月4日、3503船団(14隻)を護衛して館山発。10日、船団はアメリカ潜水艦タンバーの攻撃を受け、本艦は爆雷戦を行う。その際、タンバーの艦後部を水面上に露出させる。13日、サイパン着。17日、復航4517船団を護衛してサイパン発。22日、護衛部隊旗艦朝凪がアメリカ潜水艦ポラックの攻撃により撃沈されたため、本艦は対潜掃蕩を実施し、第二護衛船団司令部と朝凪の生存者を収容した。24日、東京湾に帰着。

6月1日現在、軍隊区分甲直接護衛部隊に配置され、横須賀海軍工廠で修理中。18日、横須賀海軍工廠での修理が終わる。同日、父島向け輸送の第103号特設輸送艦を護衛して長浦発。23日、長浦に帰着。25日、第103号特設輸送艦(硫黄島向け)と第130号特設輸送艦(父島向け)を護衛して長浦発。28日、第103号特設輸送艦を硫黄島まで護衛して同島南方で仮泊中、アメリカ潜水艦アーチャーフィッシュの攻撃を受け、前部弾薬庫付近に魚雷が命中した。搭載弾薬の誘爆はしなかったものの、間もなく艦首から沈没していった。乗員58名が戦死または行方不明となり、生存者は硫黄島に収容されたのち第103号特設輸送艦に便乗して父島へ送られた。

8月10日、第二十四号海防艦は第二号型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた[注釈 1]

海防艦長

[編集]
艤装員長
  1. (兼)下方弘麿 大尉:1944年1月30日 - 1944年3月8日(本職:第十八号海防艦艤装員長)
  2. (兼)下方弘麿 大尉:1944年3月8日 - 1944年3月10日(本職:第十八号海防艦長)
  3. 石井留吉 大尉:1944年3月10日 - 1944年3月15日
  4. 井上純造 少佐:1944年3月15日 - 1944年3月28日
海防艦長
  1. 井上純造 少佐:1944年3月28日 - 1944年7月10日

脚注

[編集]
注釈
  1. ^ a b 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』、福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』では「(昭和)20年8月10日除籍」とあるが、該当日に本艦の除籍を示す内令は施行されていない。
  2. ^ この数字は特修兵を含まない。
  3. ^ 本来の艦名表記は第二十四號海防艦。
脚注
  1. ^ 『三菱長崎造船所史 続篇』 主要製品目録 p. 86。

参考文献

[編集]
  • 海軍省
    • 昭和18年12月22日付 達第319号、内令第2776号、内令第2778号、内令第2780号。
    • 昭和19年3月28日付 内令第480号。
    • 昭和19年8月10日付 内令第937号、内令第943号、内令員第1457号、内令員第1458号。
    • 昭和19年1月31日付 海軍辞令公報(部内限)第1309号。
    • 昭和19年3月10日付 海軍辞令公報(部内限)第1363号。
    • 昭和19年3月10日付 海軍辞令公報(部内限)第1365号。
    • 昭和19年3月15日付 海軍辞令公報(部内限)第1374号。
    • 昭和19年4月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1399号。
    • 昭和19年7月15日付 海軍辞令公報 甲(部内限)1536号。
    • 昭和19年2月17日付 海軍公報(部内限)第4618号。
    • 昭和19年4月6日付 海軍公報(部内限)第4658号。
    • 呉防備戦隊戦時日誌。
    • 横須賀防備戦隊戦時日誌。
    • 昭和19年5月24日付 第二護衛船団司令官 第三五〇三船団/第四五一七船団護衛任務報告。
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』、原書房、1982年。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 世界の艦船 No. 453 増刊第34集 『日本駆逐艦史』、海人社、1992年。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 『三菱長崎造船所史 続篇』、西日本重工業株式会社、1951年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。