神保重吉
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神保 重吉(じんぼ じゅうきち、1881年(明治14年)2月3日[1] - 1957年(昭和32年)12月31日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集]石川県珠洲郡正院村字川尻(現在の珠洲市)に、樋谷内助右衛門の三男に生まれ、神保康治の養子となった。1902年(明治35年)に石川県師範学校を卒業し、1915年(大正5年)に日本大学法律科を卒業した[3]。1920年(大正9年)に判事検事登用試験に合格し、司法官試補に任ぜられるまでの10数年の間、小学校訓導・校長、金沢市書記などを務めた[3][4]。1922年(大正11年)、官を辞して金沢市で弁護士事務所を開業[3]。その後石川県会議員、同参事会員、金沢市会議員を歴任した[4]。
1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐久間竜太郎編『大正十一年版 北陸人物名鑑』中心社、1922年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和11年3月』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。
- 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。