番付上1人大関
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番付上1人大関(ばんづけじょうひとりおおぜき)では、大相撲において大関が番付に1人のみ在位した状態だった例について述べる。
一人大関
[編集]大関が一人だけ在位し、東西に揃わない状態だった例は13例あるが、貴ノ花と貴景勝がそれぞれ2回記録しているため、11人の力士が番付上1人大関を経験している。
例 | 開始場所 | 開始場所前の動向 | 一人大関 | 最終場所 | 場所数 | 終了理由 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1936年(昭和11年)5月場所 | 男女ノ川が横綱昇進 | 清水川元吉 | 1936年(昭和11年)5月場所 | 1 | 双葉山と鏡岩が同時昇進 |
2 | 1938年(昭和13年)1月場所 | 双葉山が横綱昇進 清水川が引退 |
鏡岩善四郎 | 1938年(昭和13年)5月場所 | 1 | 前田山が昇進* |
3 | 1944年(昭和19年)5月場所 | 名寄岩が関脇陥落 | 前田山英五郎 | 1944年(昭和19年)10月場所 | 1 | 佐賀ノ花が昇進 |
4 | 1955年(昭和30年)1月場所 | 栃錦が横綱昇進 | 三根山隆司 | 1955年(昭和30年)5月場所 | 2 | 大内山が昇進 |
5 | 1955年(昭和30年)9月場所 | 三根山が関脇陥落 | 大内山平吉 | 1955年(昭和31年)9月場所 | 1 | 松登と若ノ花が同時昇進 |
6 | 1959年(昭和34年)5月場所 | 朝汐が横綱昇進 | 琴ヶ濱貞雄 | 1959年(昭和34年)9月場所 | 3 | 若羽黒が昇進 |
7 | 1966年(昭和41年)7月場所 | 北葉山が引退 | 豊山勝男 | 1966年(昭和42年)7月場所 | 1 | 北の冨士が昇進 |
8 | 1975年(昭和50年)1月場所 | 大麒麟が引退 | 貴ノ花健士 | 1975年(昭和50年)1月場所 | 1 | 魁傑が昇進 |
9 | 1979年(昭和54年)11月場所 | 旭國が引退 | 貴ノ花利彰 | 1980年(昭和55年)1月場所 | 2 | 増位山が昇進 |
10 | 1981年(昭和56年)5月場所 | 増位山が引退 | 千代の富士貢 | 1981年(昭和56年)7月場所 | 2 | 千代の富士が横綱昇進 (大関空位) |
11 | 1981年(昭和56年)11月場所 | (大関空位) 琴風が昇進 |
琴風豪規 | 1982年(昭和57年)1月場所 | 2 | 隆の里が昇進 |
12 | 2020年(令和2年)3月場所 | 豪栄道が引退 髙安が特例復帰失敗[1] |
貴景勝光信 | 2020年(令和2年)3月場所 | 1 | 朝乃山が昇進 |
13 | 2023年(令和5年)1月場所 | 正代が関脇陥落[2] 御嶽海が特例復帰失敗 |
2023年(令和5年)5月場所 | 3 | 霧島が昇進 | |
2023年(令和5年)5月場所[3] | 貴景勝貴信 |
- 太字の力士は大関で、斜字の力士は関脇以下の地位で2024年時点現役中。
- 史上8人目の番付上1人大関である貴ノ花は、2回記録しており、番付上1人大関合計3場所在位は当時の史上最多記録(現在2位)である。
- 史上11人目の番付上1人大関である貴景勝は、2回記録しており、史上2人目の番付上1人大関を2回経験している。また番付上1人大関合計4場所在位は、貴ノ花を超えて史上最多記録となる。
- 11人の内、最高位が横綱である力士は、前田山と千代の富士だけである。
在位場所
[編集]- 1位 貴景勝(4場所)
- 2位 琴ヶ濱・貴ノ花(3場所)
- 4位 三根山・千代の富士・琴風(2場所)
- 7位 清水川・鏡岩・前田山・大内山・豊山(1場所)
1人大関成績
[編集]1人大関在位期間の記録(2023年5月場所終了現在)
- 勝星
- 1位 貴景勝(30勝22敗8休)勝率.576
- 2位 千代の富士(27勝3敗)勝率.900
- 3位 貴ノ花(26勝19敗)勝率.578
- 4位 琴風(21勝9敗)勝率.700
- 5位 琴ヶ濱(20勝16敗9休)勝率.556
- 6位 三根山(12勝13敗5休)勝率.480
- 7位 大内山(11勝4敗)勝率.733
- 8位
- 前田山(8勝2敗)勝率.800
- 豊山(8勝7敗)勝率.533
- 10位 清水川 (6勝5敗)勝率.545
- 11位 鏡岩(5勝8敗)勝率.385
- 優勝
- 千代の富士・貴景勝 1回
(その他の9人は1人大関在位中に優勝経験なし)