畑地村
はたじむら 畑地村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 岩松町・畑地村・清満村・御槙村・北灘村・下灘村 → 津島町 |
現在の自治体 | 宇和島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 北宇和郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 岩松町・清満村・城辺町・下灘村 |
畑地村役場 | |
所在地 | 愛媛県北宇和郡畑地村大字上畑地 |
座標 | 北緯33度05分20秒 東経132度30分47秒 / 北緯33.08897度 東経132.51308度座標: 北緯33度05分20秒 東経132度30分47秒 / 北緯33.08897度 東経132.51308度 |
ウィキプロジェクト |
畑地村(はたじむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県北宇和郡にあった村であり、現在の宇和島市の南部の農山村である。1955年(昭和30年)の昭和の大合併で6か町村の合併で津島町に、さらに2005年(平成17年)8月の平成の大合併で津島町は宇和島市となり、現在に至っている。
地名としての「畑地」は小学校や公民館の名として現在に継承されている。
地理[編集]
現在の宇和島市の南部。岩松川の支流である芳原川と、さらにその支流である保場川との流域の中山間地。芳原川は北流し、岩松川の河口近くで合流する。西の下灘村とは大正3年に貫通した嵐坂隧道を通って往来が容易になった。岩松町とは平地で接している。
社会[編集]
地域・集落[編集]
平地は 平地は芳原川下流に形成されているが他は山間地。
明治の合併前の村である上畑地、下畑地の2箇村がそのまま大字となり、津島町となってからも続いた。
行政[編集]
- 役場
- 大字上畑地に置かれていた。
- 歴代村長
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人口・世帯数[編集]
- 1904年(明治37年) 541戸、2842人
- 1921年(大正10年) 483戸、2697人
- 1950年(昭和25年) 2936人
学校[編集]
- 小学校
- 畑地小学校 現存
- 所在地(現在の表記) 〒798-3323 愛媛県宇和島市津島町上畑地甲80番地 https://hataji-e.esnet.ed.jp/
- 横山小学校 1968年(昭和43年)畑地小学校に統合
- 中学校
- 畑地中学校 1968年(昭和43年)にいずれも津島町立の岩松中学校、北灘中学校、畑地中学校、南部中学校[1]の4校が統合し、津島中学校となった。このため、当村域に中学校は存在しない。
歴史[編集]
藩政期
- 宇和島藩領。
明治以降
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制・市制施行時に、上畑地、下畑地の2箇村が合併して北宇和郡畑地村となる。
- 1914年(大正3年) - 嵐坂隧道貫通
- 1923年(大正12年) - 小作騒動
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 岩松町・清満村・御槙村・北灘村・下灘村との1町5村での合併で津島町となり、自治体としての歴史を閉じた。
畑地村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 上畑地━━━━┓ ┣━━━━━畑地村━━━┓ 下畑地━━━━┛ ┃ 清満村━━━┫昭和30年2月11日 御槙村━━━┫合併 岩松町━━━╋━津島町━━━━━┓ 北灘村━━━┫ ┃合併 下灘村━━━┛ ┃平成17年8月1日 ┣宇和島市(新) 宇和島市━━━━┫ 吉田町━━━━━┫ 三間町━━━━━┛ (注記)岩松町他の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
産業[編集]
- 農業
- 米、栗、しいたけ、薪、木炭、繭などを産する。
交通[編集]
当村には鉄道は通っていない。
民俗[編集]
- 闘牛の飼育
名所[編集]
- 保場川冷泉
参考文献[編集]
- 『角川日本地名大辞典38愛媛県』
関連項目[編集]
- ^ 元の下灘村立下灘第一中学校