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田村勲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田村 勲
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県玖珂郡玖珂町
生年月日 1957年3月22日
没年月日 (2000-12-25) 2000年12月25日(43歳没)
身長
体重
182 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト外
初出場 1976年7月14日
最終出場 1986年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田村 勲(たむら いさお、1957年3月22日 - 2000年12月25日)は、山口県出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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岩国工業高では、1974年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、宇部工業高に延長12回敗退した。同年オフにドラフト外読売ジャイアンツに入団する。

1年目の1975年は同期入団の定岡正二西本聖とともにオープン戦に登板するが、一軍での登板には恵まれなかった。1976年に一軍初登板、翌1977年には定岡、西本に先駆けて初勝利を果たし、1978年には中継ぎとして16試合に登板する。

サイドスローからコーナーをつく揺さぶり投法で、得意球は外角のスライダーカーブシュートシンカーも投げたが、左打者にはボールのキレが半減し、巨人ではなかなか一軍に踏みとどまれない原因となった。

1980年1月、小俣進庄司智久と共に小川清一古賀正明との3対2の交換でロッテオリオンズに移籍。1982年には主に中継ぎとして起用され19試合に登板、2勝を記録する。1983年の9月1日の阪急戦では、福本豊に通算2000本目の安打を打たれた。1984年まで一軍で活躍するが、その後は登板機会が減少し、1985年12月金銭トレードで南海に移籍。ここでもあまり出番はなく、翌1986年限りで現役を引退した。

引退後は、ロッテの打撃投手、巨人でスコアラーを務めたが、後に健康面を理由に退団。2000年12月25日、肝硬変のため死去。享年43。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1976 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.0 2 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 3.00
1977 8 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 64 15.2 15 3 9 0 1 5 0 0 7 7 3.94 1.53
1978 16 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 110 24.1 24 1 14 2 5 12 1 0 9 7 2.63 1.56
1980 ロッテ 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 63 10.2 20 7 11 2 2 10 0 2 22 19 15.55 2.91
1981 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 11 3.0 1 1 2 0 0 1 0 0 2 2 6.00 1.00
1982 19 1 0 0 0 2 1 1 -- .667 189 43.1 53 12 10 0 4 18 0 0 32 32 6.70 1.45
1983 19 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 126 28.1 28 3 13 0 3 9 0 0 17 15 4.76 1.45
1984 16 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 175 41.0 34 8 17 1 8 24 0 0 25 22 4.83 1.24
1985 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 3.2 4 1 0 0 0 2 0 0 3 3 7.36 1.09
1986 南海 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 22 4.2 4 1 3 1 0 1 0 0 2 2 3.86 1.50
通算:10年 95 1 0 0 0 6 2 1 -- .750 781 175.2 185 37 80 6 23 82 1 2 119 109 5.58 1.51
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

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  • 67 (1975年 - 1976年)
  • 32 (1977年 - 1979年)
  • 28 (1980年 - 1985年)
  • 38 (1986年)
  • 95 (1987年)
  • 94 (1988年)

関連項目

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