渡辺長男
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渡辺 長男(わたなべ おさお、1874年(明治7年)4月2日 - 1952年(昭和27年)3月3日)は、明治から昭和にかけて活動した彫刻家(彫塑家)。同じ彫刻家の朝倉文夫、大塚辰夫(大塚周夫の父)は実弟。妻は岡崎雪聲の娘。
略歴
[編集]1874年(明治7年)、大分県大野郡上井田村(現豊後大野市)村長であった渡辺要蔵の長男として生まれる。彫刻家を目指した長男は東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学し、仏像彫刻家の山田鬼斎に師事する。すぐに頭角を現し、イタリアへと留学していた長沼守敬に欧州の彫刻技術を学ぶなど、先駆性を発揮した。
1897年11月に高村光太郎や武石弘三郎、白井雨山、青木外吉ら同窓生と「青年彫塑会」を結成し、木彫家をもまじえて技術上の交流をはかり、新進気鋭の彫刻家として注目されるようになる。この頃に実弟である朝倉文夫が長男を頼って上京。元々俳句を志して正岡子規に師事しようとしていたが、その子規の死もあるものの、文夫が彫刻(彫塑)への道を選択したのは、長男の多大なる影響がある。
長男は人物彫刻を得意とし、明治天皇騎馬像や井上馨像、太田道灌像、広瀬中佐像など、数多く製作した。また、東京日本橋の欄干の麒麟と獅子のブロンズ像は、長男の手によるものである。鋳造は義父である岡崎雪聲が行った。
代表作品
[編集]- 軍神広瀬中佐像(1910年)(万世橋駅※戦後のGHQによる撤去命令により現存せず)
- 獅子、麒麟像(1911年)(東京都中央区日本橋[1])
- 徳川家康像(1920年)(旧東京府庁内※戦時供出により現存せず)
- 日蓮聖人銅像(1923年)(千葉県鴨川市清澄寺に現存[2]、複製が2018年3月時点で40体以上、都内では墨田区法恩寺、江戸川区感應寺で見られる[3]。)
- 太田道灌像(1924年)(旧東京府庁内※戦時供出により現存せず。東京国際フォーラムに現存する像は、朝倉文夫によるもの)
- 明治天皇騎馬像(1930年)(旧多摩聖蹟記念館)
- 菅原道真像(1936年)(八王子市御衣公園内)
他多数