コンテンツにスキップ

渡辺進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 進
SUNホールディングスEAST硬式野球部 
ヘッドコーチ #81
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県銚子市
生年月日 (1952-08-25) 1952年8月25日(72歳)
身長
体重
185 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1970年 ドラフト4位
初出場 1972年10月7日
最終出場 1987年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

渡辺 進(わたなべ すすむ、1952年8月25日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手内野手外野手)、コーチ

経歴

[編集]

プロ入りまで

[編集]

銚子商業では1970年]、四番打者、遊撃手として夏の甲子園予選東関東大会に進出。準決勝で鉾田一高の、後にプロで同僚となる梶間健一を打ち崩し、決勝ではエース鵜沢達雄を擁する成東高に9回サヨナラ勝ち。夏の甲子園に出場し、高知商を破って2回戦に進出するが、この大会に準優勝したPL学園新美敏に完封負け[1]

現役時代

[編集]

1971年のドラフト4位でヤクルトアトムズに入団。

1976年には開幕から遊撃手として起用され、69試合に先発出場。その後も水谷新太郎永尾泰憲とレギュラーを争う。

1978年阪急ブレーブスとの日本シリーズは2試合に出場した。

1979年には杉村繁の台頭もあって出場機会が減少する。

1980年には移籍したデーブ・ヒルトンに代わり開幕からレギュラー二塁手として起用される。

1981年には初めて規定打席(27位、打率.267)に達する。

1983年は同じ二塁手であるボビー・マルカーノの加入により主に三塁手として起用され自己最高の19本塁打を放つ。同年5月12日、7月31日の横浜大洋戦でいずれも同じ斉藤明夫からサヨナラ本塁打を打っている[2]

1984年には大杉勝男引退後の後継一塁手として起用され、自己最高の打率.281(22位)を記録する。

1985年広沢克己が入団してからは出場機会が減っていく。

1987年限りで現役引退。

1987年のヤクルト在籍時にチームメイトとなったボブ・ホーナーは、著書『地球のウラ側にもうひとつの違う野球(ベースボール)があった』の中で、同じ幡ヶ谷のマンションに住み、また渡辺が英語をよく喋れたことから、レオン・リー以外ではいちばんよく話をした選手だったと記している。

現役引退後

[編集]

1988年から1989年まで一軍守備コーチ。

1990年は二軍打撃コーチ。

1991年は一軍打撃コーチ。

1992年から1999年まで一軍守備走塁コーチ。

2000年から2005年までチーフコーチを務め、関根潤三野村克也若松勉の3監督に仕え、5度のリーグ優勝と4度の日本一に貢献した[3]

2006年からはフロント入りし編成部次長渉外担当を2013年まで務めた。

2014年からは日立製作所のコーチに就任。

2020年まで務めた[4]

2022年からはSUNホールディングスのヘッドコーチに就任[5]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1972 ヤクルト 8 18 16 2 4 0 0 1 7 1 0 1 1 0 1 0 0 6 1 .250 .294 .438 .732
1973 8 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
1974 13 14 13 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 4 2 .000 .000 .000 .000
1975 20 26 25 3 4 1 0 0 5 0 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .160 .192 .200 .392
1976 84 203 177 12 40 7 1 4 61 15 1 1 4 2 16 2 4 37 3 .226 .305 .345 .649
1977 91 252 225 28 46 9 0 8 79 26 7 2 1 1 18 1 7 52 7 .204 .284 .351 .635
1978 61 130 114 14 22 4 1 4 40 17 1 1 2 2 10 0 2 24 5 .193 .270 .351 .621
1979 17 41 40 2 4 1 0 0 5 0 0 2 0 0 1 0 0 12 1 .100 .122 .125 .247
1980 87 305 269 26 68 15 1 11 118 35 3 1 5 0 26 2 5 54 5 .253 .330 .439 .769
1981 125 445 404 48 108 21 2 16 181 57 5 4 4 3 31 4 3 68 11 .267 .324 .448 .772
1982 112 375 331 40 70 15 1 11 120 35 0 4 6 0 34 3 4 54 4 .211 .293 .363 .655
1983 118 428 381 60 106 12 0 19 175 45 3 2 3 1 38 2 5 56 6 .278 .351 .459 .811
1984 121 429 391 53 110 19 0 9 156 53 3 2 5 1 26 1 6 73 12 .281 .336 .399 .735
1985 107 326 274 29 76 6 2 8 110 34 1 0 9 2 37 2 4 54 9 .277 .369 .401 .771
1986 50 90 73 5 18 4 0 2 28 8 0 0 4 0 12 1 1 21 3 .247 .360 .384 .744
1987 36 27 24 1 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 0 1 9 2 .042 .148 .042 .190
通算:16年 1058 3113 2761 323 677 114 8 93 1086 328 24 20 44 13 253 18 42 535 71 .245 .317 .393 .710

記録

[編集]
初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

[編集]
  • 36 (1971年 - 1980年)
  • 7 (1981年 - 1987年)
  • 81 (1988年 - 2005年)

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 東京ヤクルトスワローズ球団アーカイブサヨナラ本塁打
  3. ^ [1]
  4. ^ 2020年退部者”. 日立製作所硬式野球部 (2021年1月20日). 2021年1月20日閲覧。
  5. ^ 【SUNホールディングス】2022年スポーツ事業 運営スタッフ決定のお知らせ』(プレスリリース)株式会社BASE HR GROUP、2022年2月15日https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000059795.html2023年4月13日閲覧