永田善三郎
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永田 善三郎 ながた ぜんざぶろう | |
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永田善三郎 | |
生年月日 | 1885年6月11日 |
出生地 | 静岡県周智郡久努西村 |
没年月日 | 1950年12月6日(65歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治科 |
所属政党 |
憲政会 立憲民政党 |
永田 善三郎(ながた ぜんざぶろう、1885年(明治18年)6月11日[1] - 1950年(昭和25年)12月6日[2])は、日本のジャーナリスト・政治家。政治家としては憲政会→立憲民政党に所属し衆議院議員選挙に連続5回当選し海軍参与官を務めた。
経歴
[編集]静岡県周智郡久努西村(現在の袋井市)出身[3]。1907年(明治40年)、早稲田大学政治科を卒業[4]。台湾日日新聞社記者、満洲日日新聞社編集長、大連汽船株式会社天津支店長、永田鉱業株式会社社長を歴任した[4]。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回に至るまで5回連続当選を果たした。その間、廣田内閣で海軍参与官に就任した。
さらに大連の漢字紙『関東報』の社長や静岡民友新聞社の社長も務めた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 早稲田大学紳士録刊行会編『昭和十五年版 早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。