榎本敏夫
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榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日[1] - 2017年7月2日[2])は、政治家秘書。田中角栄の秘書として知られている。タレントの榎本三恵子は元妻。北区議会議員の榎本 一(えのもと はじめ)は長男[2]。
概要
[編集]東京府東京市北区の質屋の息子として生まれる。大正大学文学部哲学科卒後に民主自由党(後の自由民主党)の職員になる。1955年5月から1962年7月まで東京都の北区区議会議員を務めた[2]。1956年に日本電建に総務部長として入社し、1965年に田中角栄衆議院議員の秘書となった。1971年から1972年まで通商産業大臣秘書官、1974年から1976年まで内閣総理大臣秘書官であった。
1976年に発覚したロッキード事件において、田中角栄首相の秘書(首相秘書官)としてロッキード社の代理人であった丸紅から5億円を受け取ったとして同年7月に外国為替法違反で逮捕され、同年8月に起訴された(田中角栄は外国為替法違反だけでなく受託収賄罪でも起訴された)。起訴状では榎本は5億円を1973年8月10日、同年10月12日、1974年1月21日、同年3月1日の4回に分けて丸紅から受け取ったとされており、田中角栄の無罪を主張する田中派の国会議員らは「榎本アリバイ」を主張して法廷で証言したが、裁判所は「榎本アリバイ」は立証されていないとして、榎本は田中の使者として5億円を受け取ったと認定され、1983年10月12日に東京地裁は懲役1年執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。1995年2月22日に最高裁で有罪判決が確定した[3]。
出典
[編集]- ^ 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典2015~2017』日外アソシエーツ、2018年3月25日、96頁。ASIN 4816927093。ISBN 978-4-8169-2709-6。 NCID BC06508538。OCLC 1237270487。国立国会図書館書誌ID:028869985。
- ^ a b c d 「田中元首相秘書官 榎本敏夫氏が死去」『読売新聞』読売新聞社、2017年7月5日。
- ^ 「ロ事件丸紅ルート判決 「首相の犯罪」認定 嘱託調書の証拠能力は否定/最高裁」『読売新聞』読売新聞社、1995年2月23日。