林家市楼
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(五代目 | |
本名 | |
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生年月日 | 1980年4月13日 |
没年月日 | 2022年11月14日(42歳没) |
出身地 | 日本・大阪府大阪市 |
死没地 | 日本・大阪府大阪市阿倍野区 |
師匠 | 四代目林家染語樓 四代目林家染丸 |
名跡 | 1. 林家市楼 (2001年 - 2022年) 2. 五代目林家染語楼 (没後追贈) |
出囃子 | あばれ |
活動期間 | 2001年 - 2022年 |
活動内容 | 上方落語 |
家族 | 祖父・三代目林家染語樓 父・四代目林家染語樓 |
所属 | フリー |
公式サイト | 林家 染語樓(五代目) |
備考 | |
上方落語協会会員 | |
林家 市楼(はやしや いちろう、1980年4月13日 - 2022年11月14日)は、上方の落語家。実父は四代目染語楼、祖父は三代目という落語家一家。死没後に五代目林家染語楼が追贈された(後述)。生前は上方落語協会会員。本名:鹿田 圭人。出囃子は「あばれ」。
経歴
[編集]大阪府立東住吉高等学校普通科中退。
2001年12月19日、父の四代目林家染語楼に入門。2005年、師匠であり実父でもある四代目染語楼が亡くなり、四代目林家染丸の預かり弟子となる。
2022年11月14日、心臓疾患のため、大阪市阿倍野区の病院で死去した[1][2]。42歳没。訃報は同月16日に上方落語協会により公表された。所属事務所によれば同月12日に鹿児島県加計呂麻島へ渡り落語会を開き、翌13日に5キロのマラソン大会に参加。その翌14日に大阪に戻ったが、知人の飲食店で突然倒れ、救急搬送されていたという[3]。
市楼の死去に伴い、四代目染丸の意思により「五代目林家染語楼」の名跡が追贈された[2][4]。
芸歴
[編集]作風
[編集]父、祖父の演じた新作ネタを中心に演じていた。自身も新作を創作し演じ、古典についても少しずつ手がけていた。晩年は桂文珍独演会の前座を務めることも多かった。
出演
[編集]落語会
[編集]- 4代目林家染語楼追悼公演
関連項目
[編集]- 市楼と同じく、3代以上の落語家の男系子孫である落語家。
- 母方の祖父、叔父が落語家。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “上方落語家の林家市楼さん急死、42歳 沖縄でマラソン大会に出場、翌日に大阪市内で倒れる”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2022年11月16日). 2022年12月5日閲覧。
- ^ a b "林家市楼さん死去 落語家「五代目染語楼」追贈へ". 京都新聞. 京都新聞社. 2022年11月17日. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “上方落語家の林家市楼さん急死 42歳 飲食店で突然倒れる”. デイリースポーツ online. デイリースポーツ社 (2022年11月16日). 2022年12月5日閲覧。
- ^ 桂枝女太; 林家愛染、内海英華 (2022年12月9日). “林家市楼、早すぎる旅立ち ー五代目林家染語樓を追贈-”. んなあほな. 上方落語協会. 2023年10月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- 林家 染語樓(五代目) - 上方落語家名鑑
- 林家市楼 (@ichiro_8848) - X(旧Twitter)
- 林家市楼 (@ichiro_hayashiya) - Instagram
- 林家市楼の「イチロウの守備」 - Ameba Blog
- 林家市楼 - 上方落語家名鑑 - ウェイバックマシン(2022年11月16日アーカイブ分)