板倉勝長
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦11年7月25日(1761年8月25日) |
死没 | 文化12年4月12日(1815年5月20日) |
改名 | 伊三郎(幼名)、勝長 |
墓所 | 西尾市の長圓寺 |
官位 | 従五位下・内膳正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 陸奥福島藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 | 板倉勝矩 |
兄弟 | 勝長、勝幹、内藤頼以、琴ら |
妻 |
脇坂安親娘 本多康匡養女 |
子 | 勝俊、勝定、演暢院、渡辺輝綱正室 |
板倉 勝長(いたくら かつなが)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。陸奥国福島藩8代藩主。官位は従五位下・内膳正。重昌流板倉家第11代。
生涯
[編集]板倉勝矩の次男。父・勝矩が重昌流板倉家に養子入りする以前、安中藩時代に誕生した。幼名は伊三郎。
安永4年(1775年)1月25日、父の死により家督を相続した。安永9年(1780年)11月18日、10代将軍・徳川家治に拝謁した。同年12月18日、従五位下・内膳正に叙任する。領内飢饉や大坂加番中の大坂城火事により、藩財政が窮乏する。相馬中村藩から野中半宇衛門を招いて財政再建に尽力した。
系譜
[編集]父母
- 板倉勝矩(父)
正室、継室
子女