コンテンツにスキップ

松本昌也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松本 昌也
名前
愛称 マサヤ
カタカナ マツモト マサヤ
ラテン文字 MATSUMOTO Masaya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1995-01-25) 1995年1月25日(29歳)
出身地 大分県中津市
身長 175cm
体重 69kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ジュビロ磐田
ポジション MF
背番号 14
利き足 右足
ユース
2007-2012 日本の旗 JFAアカデミー福島
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2013-2016 日本の旗 大分トリニータ 97 (5)
2017- 日本の旗 ジュビロ磐田 212 (18)
代表歴
2011  日本U-17 5 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月12日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松本 昌也(まつもと まさや、1995年1月25日 - )は、大分県中津市出身のプロサッカー選手Jリーグジュビロ磐田所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)

来歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

和田SC、FC中津1981を経て、日本サッカー協会主導の選手育成機関であるJFAアカデミー福島の2期生として2007年に入団。同期に幡野貴紀がいる。2011年3月11日に発生した東日本大震災に被災し、3月14日東京都へ避難するまでは近隣の小学校への避難生活も経験した[1]。その後同震災により発生した福島第一原子力発電所事故の対応拠点にJFAアカデミーの練習場・Jヴィレッジが使用される事となった為、一時地元・大分県の社会人チームの練習に参加した後、静岡県御殿場市に環境を移す[1]。JFAアカデミー最終学年となった2012年プリンスリーグ東北1部を制すと、プレミアリーグ参入戦で広島皆実高校に勝利し、チームのプレミア昇格に貢献した[2]

プロ入り後

[編集]

2013年より大分トリニータへ加入[3]。加入時に松本は大分について「いろいろな面で苦しかった時期があるが選手、サポーターが一緒になってJ1に上げたチーム[4]で、そういう意味でそのチームに入ることができたことは誇りに思う」と述べている[2]。ルーキーイヤーはJリーグ ディビジョン1でのプレーとなったが、4月13日のJ1第6節・鹿島アントラーズ戦で途中出場でJリーグ初出場を果たし2分間プレー[5]9月28日の鹿島戦で負傷離脱するも[6]、復帰した後の11月10日のJ1第31節・アルビレックス新潟戦では0-1の状況からミドルシュートで一時同点となるゴールを決め、これがJリーグ初得点となった[7]

2014年は前年の大分の降格にともないJリーグ ディビジョン2でプレー。背番号も14へ変更した。開幕直後は全て途中出場であったが、第6節・京都サンガF.C.戦で先発出場を果たしてからは9月にU-19日本代表召集の為大分を離れるまで[8]殆どの試合で先発メンバーに名を連ね[5]、最終的に同年は公式戦29試合に出場した。2015年も開幕序盤は第3節・ザスパクサツ群馬を除いて前年同様、サブメンバーとしての帯同が中心であったが第9節・V・ファーレン長崎戦以降は先発に定着した[5]、しかしチームは入れ替え戦圏内の21位でリーグ戦を終え、J2・J3入れ替え戦FC町田ゼルビアに敗れたことによりJ3リーグ降格となった。

2016年も大分に残留し、背番号を10番に変更。大分では日本人選手で初めて背番号10を付けることとなった[9]。同年は高松大樹山口貴弘とともに副キャプテンを務めた[10]。終盤3試合はサブメンバーに回ったがそれ以外は全ての試合に先発出場するなどリーグ戦28試合に出場。大分のJ3優勝、及び1年でのJ2復帰に貢献した[5]。同年12月に開催されたJリーグアウォーズにおいて、MYアウォーズのJ3部門ベストイレブンに選出された[11]

2017年よりジュビロ磐田に完全移籍[12]。開幕前のキャンプでは監督の名波浩から早い段階から評価を得ていた[13]。同年は公式戦27試合に出場したが、その内リーグ戦は全て交代出場であった[5]。対照的にルヴァン杯天皇杯では出場9試合中7試合に先発出場した。

2018年シーズンは、3月18日に行われたJ1・第4節のサンフレッチェ広島戦で、移籍後リーグ戦初スタメンでフル出場した。8月19日の第23節・柏レイソル戦で移籍後リーグ戦初得点を挙げて勝利に貢献した[14]

2021年シーズンはレギュラーとして活躍し、チームのJ2優勝とJ1昇格に貢献した。

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2013 大分 29 J1 9 1 4 0 0 0 13 1
2014 14 J2 28 2 - 2 0 30 2
2015 32 1 - 3 0 35 1
2016 10 J3 28 1 - 1 0 29 1
2017 磐田 14 J1 18 0 5 0 4 1 27 1
2018 15 1 8 0 2 0 25 1
2019 34 2 0 0 1 1 35 3
2020 J2 36 2 - - 36 2
2021 40 4 - 2 0 42 4
2022 J1 31 0 3 1 2 0 36 1
2023 J2 38 9 2 0 1 0 41 9
2024 J1
通算 日本 J1 107 4 20 1 7 2 134 7
日本 J2 174 18 2 0 6 0 191 18
日本 J3 28 1 - 1 0 29 1
総通算 309 23 22 1 18 2 354 26

その他の公式戦

出場歴

[編集]

代表歴

[編集]

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]
JFAアカデミー福島
大分トリニータ
ジュビロ磐田

個人

[編集]
  • J3リーグMYアウォーズ ベストイレブン(2016年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b ゲキサカ (2011年6月19日). “松本「いいニュースを福島に届けたい」気持ちで決めた決勝点”. 2018年4月24日閲覧。
  2. ^ a b ゲキサカ (2012年12月16日). “JFAアカデミー福島MF松本、苦境乗り越えた地元・大分入りは「誇り」”. 2018年4月24日閲覧。
  3. ^ ゲキサカ (2012年10月19日). “U-19日本代表MF松本の大分入団が内定”. 2018年4月24日閲覧。
  4. ^ 大分は前年J1昇格プレーオフを勝ち抜きJ1昇格を果たしている
  5. ^ a b c d e 当リンクより、年度別出場記録を参照
  6. ^ ゲキサカ (2013年10月1日). “大分MF松本昌が肉離れで離脱”. 2018年4月24日閲覧。
  7. ^ ゲキサカ (2013年11月10日). “田中達也が“珍ゴール”、川又も得点した新潟が大分に快勝”. 2018年4月24日閲覧。
  8. ^ ゲキサカ (2014年9月24日). “南野、オナイウ招集!AFC U-19選手権日本代表メンバー発表!!”. 2018年4月24日閲覧。
  9. ^ スポーツナビ (2016年3月13日). “21歳の若武者が背負う日本人初の10番 大分の背番号にまつわるストーリー”. 2018年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月24日閲覧。
  10. ^ ゲキサカ (2016年1月30日). “大分、16年シーズンキャプテンに新加入MF山岸”. 2018年4月24日閲覧。
  11. ^ MYアウォーズ 結果発表”. Jリーグ. 2017年12月31日閲覧。
  12. ^ ジュビロ磐田『松本 昌也選手が完全移籍加入』(プレスリリース)2016年12月11日http://www.jubilo-iwata.co.jp/newslist/detail/?nw_seq=5226&year=2016&month=122018年4月24日閲覧 
  13. ^ サッカーダイジェスト (2017年2月23日). “【磐田】中村俊輔に憧れてきた松本昌也。ユース代表で10番を背負った逸材の決意”. 2018年4月24日閲覧。
  14. ^ スポーツ報知 (2018年8月20日). “【磐田】松本、大井と兄に贈る先制弾 J1で5年ぶりゴール”. 2018年8月20日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]