松平頼看
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 安永2年12月11日(1774年1月22日) |
死没 | 寛政9年1月20日(1797年2月16日) |
改名 | 義郎(幼名)、頼看 |
戒名 | 広徳院殿一道寿林日盈大居士 |
墓所 | 東京都大田区の池上本門寺 |
官位 | 従四位下・侍従、雅楽頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 伊予西条藩主 |
氏族 | 紀州徳川家支流西条松平家 |
父母 | 松平頼謙、永石氏 |
兄弟 |
頼看、本多忠顕、頼啓、鑑、於津、錫、 内藤政偏正室 |
妻 | 徳川重倫養女保姫 |
子 | 峯、頼啓 |
松平 頼看(まつだいら よりみ)は、江戸時代中期の大名。伊予西条藩7代藩主。官位は従四位下・侍従、雅楽頭。
略歴
[編集]安永2年12月11日(1774年1月22日)、6代藩主・松平頼謙の長男として誕生。母は永石氏。
天明8年(1788年)に叙任する。寛政7年(1795年)8月7日、父の隠居により跡を継ぐが、寛政9年(1797年)正月20日、父に先立って25歳で死去した。一人娘しかいなかったため、家督は弟で養嗣子の頼啓が継いだ。