松平信行
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 寛政2年9月15日(1790年10月22日) |
死没 | 明治6年(1873年)12月13日 |
改名 | 順丸(幼名)、信行 |
別名 | 勘四郎(通称)、仙山(号) |
墓所 | 東京都港区高輪の松光寺 |
官位 | 従五位下・山城守、安房守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 出羽上山藩主 |
氏族 | 津山松平家→藤井松平家 |
父母 | 松平康哉、松平信愛 |
兄弟 |
仙千代、康乂、斉孝、維賢、信行、 時敏、近藤用明、富丸、松平知豊正室 |
妻 |
松平信愛養女、青山忠講娘 三橋氏 |
子 |
信宝、信有、信貞、信睦、信訥、由、 五島盛成正室、松平信幹正室ら7男7女 |
松平 信行(まつだいら のぶゆき)は、江戸時代後期の大名。出羽国上山藩7代藩主。官位は従五位下・山城守、安房守。藤井松平家嫡流13代。
生涯
[編集]寛政2年(1790年)9月15日、美作国津山藩主・松平康哉の五男として誕生した。文化2年(1805年)に上山藩6代藩主・松平信愛が早世した際、その養子として跡を継いだ。同年12月16日に叙任する。手当米を増額し、先代から続いていた家臣間の対立を鎮めた。
文化6年(1809年)、学問を奨励して藩校・天輔館(1840年に「明新館」に改名)を設立した。天保2年(1831年)10月9日、病気を理由に長男の信宝に家督を譲って隠居した。42年後の明治6年(1873年)12月13日に死去した。享年84。
系譜
[編集]子女は7男7女
父母
正室、継室
側室
- 三橋氏
子女